第2巻は、名もない人のありのままの日々の記録——。花森安治が最も心血を注いだ企画である連載「ある日本人の暮し」の傑作集です。情感滲じむモノクローム写真と、書き手・花森の卓越した文章で織りなした名ルポルタージュ、全30編を収録。花森は市井の人々の懐に飛び込むと、家計の事情や本音を巧みに引き出し、日常茶飯にひそむ哀歓を見事にとらえました。そこには、あきらめずに生きる人々の、人生の輝きを見つけることができます。
[目次]
序章
山村の水車小屋で ある未亡人の暮し
ある青春
Ⅰ章 もはや「戦後」ではない筈なのに 1954〜57年
かつぎや
三十娘と未亡人
大学出の小使さん
しあわせのうた
大部屋という名の女優
駅長さんはお人よし
Ⅱ章 所得倍増?——声なき声 1958〜60年
ぼくは新聞記者
しかし、私たちも明るく生きてゆく
ぴーぴぃのおっさん
人われを税吏と呼ぶ
共かせぎ落第の記
ランプの宿の宿六
特攻くずれ
とうふやのラッパ
自転車の上の本屋
Ⅲ章 上を向いて 涙がこぼれるから 1961〜63年
富士山の見えるちいさな百貨店
にいてんご術
伊深しぐれ縁起
3人と1人と20人のこども
棟梁と妻と息子と
日本のなかのアメリカのなかの日本人
漢文と天ぷらとピアノと
走れ新ちゃん
Ⅳ章 ああ、国よ。日本の国よ。 1965〜68年
本日開館休業
千葉のおばさん
男の仕事とはなにか
桶屋二代
センセと大将と親分と
Ⅴ章 「日本紀行」より
KOBE
山のむこうの町
水の町
解説 河津一哉 編集者、元『暮しの手帖』編集部員(1957〜83年在籍)
「ある日本人の暮し」・「日本紀行」花森安治著述一覧
[資料]花森安治の主な仕事と作品年譜・1954〜68年
戦後日本の家計収支と主な物価の推移
[著者]
はなもり やすじ
1911年、神戸市生まれ。松江高等学校を経て、東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学。在学中より画家の佐野繁次郎に師事し、広告制作を手伝う。そこでコピーや、手描き文字、挿画、文字の組み方、色彩感覚を学ぶ。卒業後応召し戦地へ。病気除隊後、大政翼賛会の宣伝部に勤める。敗戦後の1948年、大橋鎭子とともに『暮しの手帖』を創刊、初代編集長となる。庶民に寄り添った衣食住の提案を行う傍ら、暮らしを脅かす戦争に反対し、環境問題に際しては、国や企業に対しても臆することなく鋭い批判を投じた。1956年 第4回菊池寛賞(花森安治と『暮しの手帖』編集部)、1972年 著書『一銭五厘の旗』が第23回読売文学賞(随筆・紀行賞)、同年に「日本の消費者、ことに抑圧された主婦たちの利益と権利と幸福に説得力のある支援を行った」との理由でラモン・マグサイサイ賞を受賞。