三女「よしこさん」の素顔

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姉の鎭子(右)とともに、社員旅行先の伊豆で。1950年頃

先週末、自宅でささやかな祝宴を開いて結ばれた、美子と南。結婚後も、美子は『あなたの暮し』を担う編集部員として働き続けます。
女性は結婚したら家庭に入るもの。そんな時代の風潮にとらわれず、美子は自分らしい生き方を選び取ったのですね。

暮しの手帖社にも、一生涯、編集者として生きた「よしこ」がいました。大橋芳子。大橋三姉妹の末っ子で、社長・鎭子の5歳下の妹です。
姉たちとともに雑誌作りの道に入ったのは、21歳のとき。編集長の花森安治に鍛えられ、やがてデスクとして、編集部員の原稿チェックや編集費の管理などを受け持つようになります。取締役まで務めた彼女ですが、皆が掃除をしていたら、自分も四つん這いになって雑巾がけするのを厭わない人。しずこさんと同じく、会社ではずっと「よしこさん」と呼ばれて慕われていました。
現役時代のよしこさんについて話を聞くと、その性格はとにかく細やか、そして親切で面倒見がよかったといいます。
気難しい花森が地方取材に出るときは、助手として同行。暑い日は花森に冷たいおしぼりを差し出し、のどが渇いた頃合いで水筒を手渡す。毎朝、花森の出社前に、机の上の文具をきちんと整えておくのも、長年の彼女の仕事でした。少しでも乱れていたり、定規が汚れていたりしたら、花森は「仕事しないぞ!」とへそを曲げるのですから、大変です。
ある編集部員いわく、「ぼくが風邪をひいてアパートで寝込んでいたら、よしこさんが手作りの美味しいスープを届けてくれて、恐縮したなあ」。
花森が暮しの手帖社のお父さん、しずこさんがお母さんだとしたら、よしこさんは優しい姉のような存在だったのでしょうか。
細身ですらっとしたスタイルの彼女は、誌面でたびたびモデルを務めました。当時では珍しいショートカットで、ボーイッシュな装いがよく似合う、おしゃれさん。撮影用にハンドバッグなどの小物が必要なときは、皆がよしこさんを頼ったそうです。
ドラマの美子と同じく、得意だった企画は手芸。力を注いだ連載企画「エプロンメモ」は、いまも変わらず続いています。(担当:北川)

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1世紀49号(1959年)の連載企画「ある日本人の暮し」では、蒸気機関車に乗り込んでの撮影が特別に許可された。芳子は下の列の右から2人目。花森は上から3人目で、得意の8ミリカメラを携えている


暮しの手帖社 今日の編集部