尊敬する上司とのめぐり合い

職業婦人として歩み始めた頃の大橋鎭子。

職業婦人として歩み始めた頃の大橋鎭子。

女学校を卒業し、職業婦人としてタイピストの道を選んだ常子。なんとか職場の人たちにも認められ、いきいきと働き始めましたね。ほっとしました。
さて、『暮しの手帖』を創った大橋鎭子はというと、女学校を卒業してから、親類の紹介もあり、日本興業銀行(現在のみずほ銀行)に入行します。
優しくてお父さんのような上司・工藤昭四郎さんの導きもあり、鎭子は調査月報を作る手伝いをしながら、編集の基礎を覚えて、めきめきと力をつけていきます。それは、「興銀で働かなかったら、『暮しの手帖』はできなかった」と、のちに振り返るほどの貴重な体験となりました。
一見、流れに身をまかせて進んでいく常子と鎭子の人生ですが、人との出会いを大切にし、大事なところで決断をして、自ら運命を切り拓いていくたくましさに、わたしたちも背中を押されます。
鎭子が『暮しの手帖』を創刊するまでには、まだまだたくさんの紆余曲折を経ていきます。ぜひ、『ポケット版「暮しの手帖」とわたし』や別冊『しずこさん』をご覧ください。
(担当・平田)


暮しの手帖社 今日の編集部