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「あたらしさ」と出会いたい

2021年05月25日

「あたらしさ」と出会いたい
——編集長より、最新号発売のご挨拶

各地で梅雨入りし、むしむしする日が続きますね。お元気でお過ごしでしょうか?
この「ご挨拶」を書くのは、いつも発売の数日前なのですが、今日は雨のなか、京都へ向かう新幹線で書いています。新幹線に乗るのは、ほんとうに久しぶり。京都で暮らす、ある作家の方のもとへ、次号の表紙の原画を受け取りに伺うのですが、どんな絵なのか、とっても楽しみです。
いま、私の目の前には、できたてほやほやの最新号があります。表紙画を手がけてくださったのは、画家の今井麗さん。大きく豪快にカットされたメロンに、うっすらと透けた生ハムがのった食卓の情景は、鮮やかで、初夏のよろこびが生き生きと伝わってくるよう。
モチーフの「生ハムメロン」は、今井さんの幼少期の、ある思い出と結びついています。ちょっと意外で愉快なエピソードは、169頁に今井さんが寄せてくださった文章でお楽しみください。

今号の始まりの記事「わたしの手帖」には、「毎日があたらしいから」というタイトルをつけました。
主人公は、ピアニストの舘野泉さん。ご存じでしょうか、 20代でフィンランドに渡り、世界中でコンサートを開いて活躍。60代半ばに脳出血で倒れ、右手が使いにくくなるものの、左手だけでピアノを奏で、84歳のいまも現役でいらっしゃいます。
きっかけは、昨年11月10日に東京オペラシティで開かれた、演奏生活60周年のコンサートにお伺いしたことでした。プログラムを開くと、「苦海浄土」といった言葉のつく難解そうな曲名が並び、ほとんどの曲に、「※世界初演」と添えられています。自粛生活のなか、生の音楽に久しぶりに触れたくて足を運んだのですが、正直なところ、「理解して楽しめるかなあ」と不安がよぎりました。
ところが、いざ演奏が始まると、これがもう、とにかく素晴らしいのです。耳なじみのないメロディの流れに身をひたしていると、どこか知らない土地に運ばれて、シュールかつ美しい風景を目にするよう。「左手だけで弾いている」なんて、すぐに忘れて没頭していました。
ああ、音楽の力って、すごいな。84歳になっても、こんな「あたらしい曲」に挑める舘野さんって、どんな方なんだろう。
単純ですが、いつもだいたいそんなふうにして、記事は生まれていきます。

東京のご自宅でお会いした舘野さんは、飾らず、偉ぶらず、なんともチャーミングな方でした。脳出血で倒れ、リハビリを経て復活を遂げた話は、言葉を探しながら誠実に答えようとしてくださる。妻で声楽家のマリアさんとの馴れ初めや、日々の炊事の分担、ときどき勃発する夫婦喧嘩の話は、ユーモラスに。
とりわけ印象的だったのは、「脳出血で倒れたときよりも、コロナの影響でコンサートができない時期のほうが辛かったかな」とおっしゃったことでしょうか。音楽は、聴く人たちと心を通い合わせるように、会場が一体となって完成されるもの。コンサートのステージに立つと、自分でも知らなかった音が鳴り、「あたらしい自分」が生まれるのだと。

いまは、誰もが息苦しさを覚えつつ、それぞれの暮らしの小さなよろこびを心のよりどころにして、日々を歩んでいるのではとないかと思います。
舘野さんのように、毎日「あたらしい自分」であり続けるのは、とてもむつかしい。それでも、考えること、深く感動すること、自分の思いを言葉にすること、他者を思いやることを忘れずにいたい。そんなことを考えながらこの記事をつくり、一冊を編みました。
今号より、料理家の枝元なほみさんによる新連載「食べる、生きる、考える」が始まります。「台所の窓を開けて社会とつながりたい」と語る枝元さんが、社会のどんな部分に疑問を抱き、少しずつでも変えたいと願っているか、その柔らかな語りに耳を傾けて、ご一緒に考えていただけたらと思います。
そのほかの記事も、担当者が明日から一つずつご紹介していきますので、ぜひお読みください。

あっという間に、京都に到着です。どうか、みなさまの毎日が、健やかで、あたらしいよろこびに満たされますように。

『暮しの手帖』編集長 北川史織

・5世紀11号「詩が悲しみに寄り添えるなら」訂正文

2021年05月12日

11号にて誤りがございました。
「詩が悲しみに寄り添えるなら」121頁で、
「彼女が伴侶である三浦安信を喪ったのは、一九七五年、結婚して十七年目」と記しましたが、正しくは、「二十七年目」です。
読者の皆様、ならびに関係者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます。

孤独を糧に生きた人

2021年04月08日

孤独を糧に生きた人
(11号「銅版画家・南 桂子 夜中にとびたつ小鳥のように」)

こんにちは、編集長の北川です。
年に数回は足を運ぶ、好きな美術館がいくつかありますが、日本橋蛎殻町にある「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」もそのひとつです。
ここは、世界的な銅版画家である、故浜口陽三さんの個人美術館。黒いベルベットのような背景に、ぽっと浮かび上がる真っ赤な「さくらんぼ」ほか、その作品を観れば、「ああ、知っている」と思う方も多いことでしょう。
浜口さんの作品に惹かれて通ううちに、同じ展示室に飾られた数点の作品が、妙に心にひっかかるようになりました。少女、小鳥、木々、お城、蝶……。精緻な線で描かれた世界は、ひと口で言えば「メルヘン」なのですが、静けさ、孤独感、寂寥感がみなぎっていて、ちょっと「こわい」くらいです。
解説を読むと、これらは浜口さんの妻、故南桂子さんの作品とあります。1950年代からパリで暮らし、80年代にはサンフランシスコへ移住して、晩年近くまで海外を中心に活躍したふたり。夫婦であっても、そして同じ銅版画でも、まったく違っている作品。
いったい、南桂子さんとはどんな人だったのだろう? この時代に日本を離れて40年以上、作家としてどんな人生を歩んだのだろう? 
興味を抱き、学芸員の方にお話を伺ったのが、今回の記事を編むきっかけでした。

取材をはじめたのは、昨年の4月上旬、東京に緊急事態宣言が出される直前のこと。まず拝見したのは、南さんが遺した夥しい数のアクセサリーですが、どれも変わっていて、少しの毒を感じさせ、そして美しい。これらを選んだ南さんという人はきっと、自分というものを知っていて、人と同じように無難に生きることを好まなかったに違いない。そう想像しました。
さらに、詩人の谷川俊太郎さんほか、交流のあった4名の方々にお話をお伺いすると、南さんの人となりが少しずつ浮き彫りになっていく……。それはまるで、いくつもの版を重ね刷りして、亡き人の像を結ぶかのごとく作業でした。
いま、南さんの作品を観ると、この状況下で誰もが抱える「孤独」を静かに分かち合えるような、不思議な穏やかさが胸をあたためるようです。もしかしたらそれは、孤独を糧にした人だからこそたどり着けた、ほんとうの心の平安なのかもしれません。
記事でご紹介した5点の作品と表紙の作品は、下記の展覧会にて、前期・後期に分けて展示されます。原画のすばらしさを、ぜひ味わっていただけたらと思います。(担当:北川)

◎南桂子生誕110年記念「蝶の行方」展
会期:2021年4月10日(土)〜8月9日(月・振休)
※前期(4月10日〜6月6日)、後期(6月12日〜8月9日)で作品の入れ替えをします。
場所:ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション(東京都中央区日本橋蛎殻町1-35-7)
https://www.yamasa.com/musee/

悲しみは、ちから

2021年04月07日

悲しみは、ちから
(11号「詩が悲しみに寄り添えるなら」)

こんにちは、編集長の北川です。
いつからか、電車に乗って前に座る人びとを眺めるときなど、
「この人たちも、きっと、誰かを失った悲しみを抱えて日々を送っているのだろうな」
という思いが胸をよぎるようになりました。
自分も、身近な人を亡くす経験をいくつか積んで、ふとした瞬間に思い出すと、涙がにじむようなことがあるからかもしれません。
一方で、その人が生きている間にかけてくれた言葉、分かち合った何気ない出来事が、光る小石のように胸の底に確かにあって、ときに自分をあたためてくれるようにも感じています。

この企画は、東日本大震災から10年が経つことに思いをめぐらせて生まれました。
あのとき、多くの人が大切な人を失い、大切な場所を失いました。
「被災地」と呼ばれる土地の多くは復興しつつあると報じられていますが、目に見えるものが取り戻され、年月が過ぎれば、人の心は癒えてゆくものなのでしょうか。
もちろん、同じ災害で、同じく家族や近しい人を失ったとしても、その経験と悲しみは人それぞれであり、同じであるかのように語ってはならないでしょう。
さらに、この10年の間にも、各地で起こったさまざまな災害によって多くの「いのち」が失われ、いまは未知のウイルスが暮らしに影を落としています。
私たちは、人生に降りかかる「悲しみ」の経験にどう向き合えばいいのか。悲しみは、どうしたら癒やせるものなのか。
そんなことを、批評家で随筆家である若松英輔さんとお話しするなかで、若松さんは、こんなふうにおっしゃいました。
「何かを失って悲しみ、苦しむというのは、それだけ、愛すべきものがこの世にあったということですね」
「悲しみは、一人ひとりで違う、固有のものですが、人は悲しみを抱くことで、共振、共鳴できるように思います」
「よく、『悲しみをちからにする』といった言い方をしますが、それはやや違っているように思います。おそらく、悲しみこそが、生きるちからであり、私たちを明日へと運んでくれるものなのです」
そんなやりとりを経て、今回、若松さんが綴ってくださったのは、ご自身が喪失の深い悲しみから否応なしに詩を求めるようになり、10年の歳月のなかで見いだしていった、「悲しみに寄り添う詩のちから」についての随筆です。
たとえ、詩になじみがなかったとしても、失う悲しみを経験した方であれば、「ああ、この感覚はわかる」と胸に落ちるものがあることでしょう。
一人ひとりが人知れず抱えている、その固有の悲しみと、心静かに向き合うために。ぜひ、お読みください。(担当:北川)

いざという時に慌てないために

2021年04月06日

いざという時に慌てないために
(11号「もしもに備える 救急箱」)

お腹が痛くなったり、皮膚がかゆくなったりといった不調は、突然起こります。
そんな時、自宅の救急箱に必要な薬がなかったり、
使用期限が切れていて使うのをためらった経験はありませんか。

この記事を編むのに先立って、
編集部員20人に自宅の救急箱にどんなものを備えているか尋ねたところ、
家庭によって備えの程度にかなり差があることがわかりました。
「近くに薬局があるので、市販薬は常備していない」という人がいる一方で、
「解熱鎮痛薬だけで成分違いの6種類を備えている」という人も。

私も改めて自宅の救急箱を開けてみましたが、
恥ずかしながら半分近くが期限切れ。
使い切って外箱だけになっているものまであり、
自分が救急箱の管理を怠っていたという事実に気付きました。

コロナ禍で、気軽に病院に行くことがためらわれる現在。
備えておくと役立つ市販薬や衛生用品を、
薬剤師の高橋洋一さんに教えていただきました。
また、薬の保管方法や、薬剤師との付き合い方についてもご紹介しています。

記事を参考に救急箱の中身を点検し、
それぞれの家庭で必要なものを備えるきっかけにしていただけたらと思います。(担当:田村)

連載最終回です。ありがとうございました

2021年04月05日

連載最終回です。ありがとうございました
(11号連載「有元葉子の旬菜」)

「有元葉子の旬菜」では、有元さんの暮らしのなかに生きている、季節ごと旬の食材を使ったレシピをご紹介してきました。
その季節にぜひ味わいたい旬の食材とは。どんなふうに選んでどう料理すると一番おいしいか。1年、6回にわたってうかがいました。
連載第一回は、新れんこんなどの「新」が名につく野菜と、ぬか漬けをご紹介しました。初夏の瑞々しい香りや食感を生かして味わうためのレシピでした。
この連載が始まるにあたって、昨年このコーナーで次のように書きました。
「いま私たちは、未曾有の経験をしています。
一時期、スーパーの棚から、インスタントやレトルト食品が、真っ先になくなりました。
そんなときでも、シンプルに素材を料理する力があれば、そうそう困らないはずです。たとえば、ぬか床があれば、それだけでもずいぶん豊かな食卓になるのです。
しっかりと自分の手で食べるには、生きるには、どんなことを感じて手を動かせばいいか。そのヒントになる有元さんのお話と料理をお伝えします」
コロナ禍での暮らしも、ずいぶん長くなりました。私たちは、様変わりした生活習慣に自身を慣らしていくことも、少しずつできてきたように思います。
いま一度、この連載で有元さんが伝えてくださったこと、心に残っている言葉をよく考えてみます。
最初の取材で、有元さんはおっしゃいました。
「私は、あまり食べるものを人任せにしたくないのです。納得して安心できる、おいしいものをきちんと選びたい」
きちんとおいしい食材を選べば、簡単な料理でも充分においしいものです。
「出来合いの味」を買うのではなく、自分の体調や好みに合わせた「おいしい」を作る。
「料理の楽しさ」のひとつは、自分が本当においしいと思うものを自分の手で作ることだと思います。
今号では、竹の子、ワカメ、真鯛、そら豆、アスパラなどの春の素材、ことにその取り合わせの妙に着目した料理をご紹介しています。
今回も、料理を楽しむいくつものヒントを教わりました。この春も、ぜひおいしい「旬菜」を味わいましょう。
この連載は、今号が最終回です。季節をひと巡りしてちょうど1年間でした。
ご愛読くださり、誠にありがとうございました。(担当:宇津木)

たとえ気づくのが遅くても

2021年04月02日

たとえ気づくのが遅くても
(11号「生きることは、楽しいことばかり」)

ある日、編集者の田中和雄さんのご自宅の前に立ちながら、
取材陣(特に私)はとても緊張していました。

取材前はいつも緊張するものの、
田中さんは、詩と絵本の出版社「童話屋」の創設者であり、
名だたる詩人や絵本作家と仕事をともにしてきた方。
86歳である今も、現役で本の制作をしていると聞いていたので、
もしかしたら、厳格な方なのではないか……と、
すっかり気持ちが萎縮してしまったのです。

ところが、ドアを開けた田中さんの穏やかな表情を見たとたん、
ほっと気持ちが和らぎました。

「僕は、遅れてきた青年だから」
取材中、田中さんはくり返しそう話していました。

童話屋の前身である「童話屋書店」を始めたのは42歳のとき。
小学校で詩の授業を始めたのは、70代も半ば。
「何かに気づくのも、始めるのも遅いんです。
でも、どこかで気づけばいい」

そう笑う田中さんの姿を見ていると、焦って先を急ぐばかりではなく、
身のまわりのことにゆっくり目を向けてみよう。
そんな気持ちが湧いてきました。
誌面を通してみなさまもぜひ、田中さんの言葉に
耳を傾けていただけたらと思います。(担当:井田)

社会を少しずつ変えていくために

2021年04月01日

社会を少しずつ変えていくために
(11号「ファミリーホームを知っていますか?」)

みなさんにぜひご紹介したい、すてきな女性に出会いました。
吉成麻子(よしなり・あさこ)さんです。

吉成さんはいまから17年前、30代半ばで里親をはじめました。
実子4人を育てながら里子を迎え続け、
現在は、幼稚園の年少から小学5年生の子どもたち6人を自宅で育てています。

みなさんは、「里親」と「養子縁組」の違いをご存知でしょうか?
わたしは吉成さんと出会うまで、正直、よくわかっていませんでした。
吉成さんは持ち前の明るさで、いろんなことをほがらかに話してくださいました。
それは、わたしの知らないことの連続でした。
家庭で暮らせない子どもたちと、育てることができない親たち、彼らをとりまく様々な事情。
親の精神疾患や暴力、育児放棄、経済的な困窮……ひとりひとりに、切実な理由があります。

吉成さんは、それについて誰かを責めるわけではなく、
「ふとしたはずみで、自分も子どもを育てられなくなるかもしれないじゃない?
誰もがそう自覚し、社会のみなで支え合っていくことが大事だと思う」と話します。
わたしは、「力になりたいのですが、何ができるのでしょうか?」と尋ねました。
すると吉成さんは、こうおっしゃいました。
「まずは里親のこと、家庭で暮らせない子どもたちのことを、知ってもらうだけでいいんですよ」

それだけでいいの? と拍子抜けするかもしれませんが、
「まずはひとりでも多くの人がきちんと知り、感じ、考える。
それが行動につながって、社会を少しずつ変えていけるんじゃないかな」と、吉成さんは話します。
この記事でみなさんが里親を知り、考えるきっかけになれば、と願います。(担当:平田)

着け心地も、気持ちも軽やかに

2021年03月31日

着け心地も、気持ちも軽やかに
(11号「手元の素材で、アクセサリーを」)

何かをこしらえた余りだけれど、なんだか愛おしくて残してある。
お手元に、そんな刺繍糸やニット用の糸、
リボンやボタンは眠っていませんか。

わが家には、そういった素材をとりあえず入れておく箱があるのですが、
どんどん溜まり、いつの間にかいっぱいに……。

そんななか、以前、yourwearというニットブランドを営む佐藤孔代(さとう・みちよ)さんが、
「余ったもので編んだんですよ」と、
毛糸のネックレスを見せてくださったことを思い出しました。

お話を伺ってみると、同じ編み方でも、
素材によって異なる表情に仕上がること、
ニット用の糸以外にも、太めのリボンでふんわりと編んでもすてきだし、
刺繍糸を何色か引き揃えても、
色が合わさってきれいだと教えてくれました。

誌面では、ほのかに輝くニット用のラメ糸や、
透け感や光沢感のあるリボンなど、
春らしい素材を使ったネックレスやブレスレットをご紹介しています。

糸やリボンのアクセサリーは、着け心地も驚くほど軽やかで、
身につけると、なんだか少し、気持ちが明るくなるような気がしました。
ぜひ、春の装いに合わせていただけたらと思います。(担当:井田)

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自由な発想で、組み合わせは無限大

2021年03月30日

自由な発想で、組み合わせは無限大
(11号「飛田和緒さんのひらめきサンドイッチ」)

ツナやハム、チーズにトマト、レタス、きゅうり──。
サンドイッチと聞いて、パッと思いつくのは、こんな具材でしょうか。

けれど料理家・飛田和緒さんの作るサンドイッチは、
そうした定番とはちょっと、いや、だいぶ、違います。
というのも、焼き鮭やさつま揚げ、野菜なら、蒸しなすやゆでた青菜だって、
具材として挟んでしまうのです。
特集では、飛田さんのご家族にも人気の8品をご紹介。
冷蔵庫に常備しておけば、サンドイッチの具材のほか、いろいろに使える
便利な作り置きメニューのレシピも載せています。

「サンドイッチは自由。あるものを使って、臨機応変に作ればいいんですよ」。
そんな飛田さんの言葉に背中を押されて、我が家には今、
「パンにいろいろ挟んでみるブーム」が到来中。
食材を組み合わせるうえでのちょっとしたコツさえつかめば、おいしいサンドイッチが「ありもの」でパパッとできる!
意外なおいしさと、新メニューを生み出す楽しみ。ぜひ、みなさんも味わっていただけたらと思います。(担当:島崎)

春に持ちたい、軽やかなバッグ

2021年03月29日

春に持ちたい、軽やかなバッグ
(11号「おとなのための帆布バッグ」

バッグ選びに困ることはありませんか?
おしゃれなバッグはどうしても小ぶりなものが多く、
使い勝手を優先させると、なんだか野暮ったい印象になってしまいます。

私はこれまでノートパソコンやストール、エコボトルなど、たくさんの荷物を
既製品のエコバッグに詰め込み、なんとかしのいでいました。

今回の企画では、そんな悩みを解決してくれる容量たっぷりのバッグを
UMAMIBAGのデザイナー江面旨美(えづら・よしみ)さんにデザインしていただきました。

江面さんらしい、帆布のざっくりとした生地感を生かしたバッグです。
たっぷりとした深さに短めの持ち手で、手に持つと、
コロンと丸いフォルムになり、とてもすてきです。

作り方はとっても簡単。
革細工などで使用されるカシメを取り入れ、ミシンで縫う部分を最小限に抑えました。
初心者でも気軽に作れるデザインです。

春のお出かけ用に、作ってみてはいかがでしょうか。(担当:山崎)

おしゃれ心に、灯を点けよう

2021年03月25日

おしゃれ心に、灯を点けよう
——編集長より、最新号発売のご挨拶

東京は、いまが桜の見ごろですが、花を見上げて歩く人びとの顔は、皆ほころんで、うれしそうです。マスクをしていても目が笑っていて、うれしさがわかるものなのですね。
早いもので、私たちの在宅ワークでの制作も、もうすぐ1年になろうとしています。せわしい仕事と、炊事洗濯といった家のこと。両方が混じり合う日々を淡々と続けていく、倦まずに、健やかに。それはなんてむずかしいのだろうと、実感した1年でした。
さて、今号の冒頭には、こんな言葉を置きました。

「どんなに みじめな気持でいるときでも
つつましい おしゃれ心を失はないでいよう
かなしい明け暮れを過しているときこそ
きよらかな おしゃれ心に灯を点けよう」

これは、初代編集長の花森安治が、『暮しの手帖』の前身である『スタイルブック』に掲げた言葉です。この雑誌の刊行は1946年の夏。終戦から1年の物資に乏しい時分に、浴衣をほどいた生地でつくるワンピースなど、工夫を凝らした「おしゃれ」を提案しました。
いま、この薄い雑誌を手に取ると、苦しいなかでも生を謳歌しようという心、生きる喜びのようなものが、美しい色彩とともにどっと伝わってきて、圧倒されます。
苦しいときに、「生きる」を楽しむって、どういうことだろう。今号は、そんなことを考えながら編みました。
巻頭記事は、「生きることは、楽しいことばかり」。
86歳の編集者、田中和雄さんは、戦時中の少年時代に宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に出合い、不惑を過ぎてから、絵本と詩集の編集に携わるようになります。「生きることは、楽しいことばかり」という言葉は、この状況下ではいささか呑気に響くかもしれません。しかし、そこにはどんな思いがあるのか、ぜひ感じ取ってみてください。
続く記事は、今号の表紙の作品を手がけた銅版画家、南桂子さんの生き方を追った、「夜中にとびたつ小鳥のように」。
南さんもまた、1953年、42歳でパリに渡って銅版画家となり、海外でいち早く認められた、遅咲きの人です。とりわけ女性であれば、人生に制約があっただろう時代に、南さんはなぜ、そうした生き方を選んだのか。淡々と地道に続けた制作には、どんな喜びがあったのか。知己の人びとを取材して、南さんの「おしゃれ」にも触れながら、ひとりの女性の像を浮き彫りにしました。
「手元の素材で、アクセサリーを」と「おとなのための帆布バッグ」は、自分の手を動かしておしゃれを楽しもうという手作り記事です。
随筆家の若松英輔さんによる「詩が悲しみに寄り添えるなら」は、大切な人や大切な場所を失ったとき、その経験と心静かに向き合うきっかけにしていただけたらと願って企画しました。

春は、顔を上げて、胸をひらいて大きく呼吸をして、軽やかに歩んでいきたい季節です。寒さで縮こまった心身をほどいて、暮らしにそれぞれの「楽しみ」を見いだせますように。明日から、担当者が一つひとつの記事についてご紹介しますので、ぜひお読みください。

『暮しの手帖』編集長 北川史織


暮しの手帖社 今日の編集部