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体も心もほぐす、ダシのおいしさ

2023年09月27日

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体も心もほぐす、ダシのおいしさ
(26号「ずっと、食べていく 対馬千賀子さん」)

料理家・辰巳芳子さんの内弟子として、17年間、一緒に暮らした対馬千賀子さん。いまはスープ教室の講師として、辰巳さん直伝の「いのちのスープ」の作り方を伝えています。
対馬さんに家のごはんで大切にしていることを伺うと、「季節の食材を使って料理をすること、そしておダシをひくこと」と教えてくださいました。「ダシをひく食べ方を守っていきたい」というお話に、ダシは日本の風土の恵みで、祖先の知恵、失ってはいけない大切なものだと、ハッとさせられました。

誌面では、おいしいダシのひき方を、手順写真とともにわかりやすくご紹介しています。教えていただいた方法でダシをひくと、昆布のうま味が出て、だんだんと深い味に変化する過程に感動します。私はこれまでダシをひく習慣がありませんでしたが、1週間分のダシをひき、冷蔵庫や冷凍庫にストックする習慣が身についたいま、安心感が生まれて、本当に助けられています。おみそ汁のほか、煮ものにもすぐに使えますし、おいしくて満足する味わいに気持ちが落ち着くのです。

ダシを使ったおつゆには、「つくねいものすり流し汁」「けんちん汁」「焼きなすのみそ汁」「里いものみそ汁」「鶏そぼろ入りにゅうめん」の5品を教えていただきました。あたたかいおつゆは身体にやさしく、疲れているときほど沁みるものです。ぜひ、ほっとするおいしさを味わってみてください。(担当:佐藤)

台所や食卓の情景と結びついた料理

2023年09月26日

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台所や食卓の情景と結びついた料理
(26号「ずっと、食べていく 松本未來さん、松本裕美さん」)

食べることは大切だとわかっていても、料理だけがやるべき仕事ではないし、理想通りにいかないこともままある。けれども、人生のそのときどきで、自分なりの知恵と喜びを見いだして、ずっとずっと食べていけたなら。
第一特集「ずっと、食べていく」では、「あなたが家のごはんで大切にしていることは、何ですか?」という問いを胸に6名の方を訪ね、その方の人生の変遷とともに、お話に結びついた料理のレシピを教えていただきました。

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緑豊かな山間にある、大分県山香町で暮らす松本未來さんと松本裕美さんを取材したのは、6月末のことでした。10歳の時に家族5人でこの土地に移り住み、四季折々の畑仕事に参加してきた未來さん。一方、大分の市街地で生まれ育ち、畑仕事とは無縁の生活を送ってきた裕美さん。
異なる道を歩んできた二人が家族となり、農家民泊「糧(かて)の家」を営んで、家族で育てた無農薬の米や野菜を使った料理を提供しています。
「宿泊客の方々にも、自分たちがふだん食べているものと同じ、素朴な『家庭の味』が感じられるものをお出ししています」と裕美さん。今のメニューに行き着くまでの道のりを伺うとともに、「糧の家」の朝ごはんと晩ごはんで提供している松本家の定番メニューの中から、「だんご汁」や「高野豆腐と根菜の煮もの」、「ピーマンの肉詰め」などの作り方を教わりました。
取材中、だんご汁をクツクツ煮ている鍋から湯気が上がり、窓の光が当たっている情景がきれいで、とても印象に残りました。日々のごはん作りを支えているのは、こういった何気ない台所の情景や記憶なのかもしれない。そんなことを感じた瞬間でした。(担当:井田)

「いま響く言葉」がいっぱいです

2023年09月25日

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「いま響く言葉」がいっぱいです
――編集長より、最新号発売のご挨拶

こんにちは、北川です。
わが家のご近所の浅草寺では、仲見世の軒先に紅葉のディスプレイがはためいています。先週までは、それが場違いに見えるほど日差しがギラギラしていましたが、ここ数日でずいぶん涼しい気候になりました。ほっとして体が緩むと、夏の疲れが出たりするもの。お変わりなくお過ごしでしょうか。
さて、今月11日に発売した『創刊75周年記念別冊 暮しの手帖』に続けて、このたびの26号は「創刊75周年記念特大号」です。
表紙画は、皆川明さんによる「安息」。2匹の猫が寄り添う乳白色のランプ、実はこれは、初代編集長の花森安治が愛用していたものです。ランプは、花森さん(私たちはそう呼んでいます)が編集長を務めた30年の間、表紙や挿画に幾度も描いたモチーフで、まさに『暮しの手帖』のシンボル。創刊号の表紙画をご覧いただくと、チェストの上に、愛らしいランプがちょこんとありますね。

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創刊した1948年は、東京はそちこちに焼け野原が残り、多くの日本人は傷ついた心や体を抱えながら、新たな価値観を求めて歩み始めた頃でした。衣食住に必要なものも、読み物も充分になく、これから先の展望も見えない。花森さんは、「まだ暗い世の中に、かすかでも、希望の灯火を灯すような雑誌でありたい」、そんな願いを込めてランプを描いたといわれています。
では、いまの時代が満ち足りているかといえば、そんなことはないんじゃないかと私は思います。もちろん、私たちは75年前よりもずっと多くのものに囲まれて暮らしてはいますが、自分のこれからの暮らし、この国や社会の行末、いろんなことに「よるべない思い」を抱えて生きている人は多いのではないかな。そう感じるのです。
今号は、私たちの初心である「ランプ」を表紙画として、「いまの暮らし」に向き合う一冊を編んでみたいと思いました。
いつもの『暮しの手帖』は、いろんな特集記事が9〜11本詰まった、「幕の内弁当」みたいなつくりですが、今回は16頁増やし、4つの大きな特集を組んでいます。

第一特集は「ずっと、食べていく」。私たちは生きる限り食べ続けなければならず、その礎となるのは「家のごはん」です。そうよくわかっていても、いろんな事情で思うようにつくれないこともあれば、理想を追い求めて疲れてしまうこともある、そんな声を聞いたりもします。
ならば、ふだんの料理記事ではこぼれてしまいがちな、「家のごはんって何だろう?」を掘り下げる特集を組めたらなあと思ったのです。登場する6名の方がそれぞれに語る、「家のごはんの物語とよりどころ」。お読みいただき、心を動かされたなら、そのお話に付随する料理をぜひつくってみてください。
この手で、自分を生かすものをつくれるって、いいものだな。そう感じるところから自分の暮らしを見つめて、自分なりの指針、「よりどころ」を見いだしていただけたらうれしく思います。

第二特集は「これからの暮らしの話をしよう」。これは、いつも連載してくださっている執筆陣の3名が、それぞれに「いま会いたい人」を訪ねて語り合う対談(鼎談)記事です。
ライターの武田砂鉄さんは、『海をあげる』などの著作で知られる沖縄の教育学者・上間陽子さんのもとへ。画家のミロコマチコさんは、10年来ワークショップを行なっている横浜の障害福祉事業所「カプカプ」へ。評論家の荻上チキさんは、作家の村田沙耶香さんと。
それぞれの記事は要約しがたく、とにかく読んでいただきたい、それに尽きます。世の中を見ていてモヤモヤとしていたことが、会話のやり取りを追ううちに、「ああ、そうだったのか」と気づきを得たり、「そういう考え方もあるのか」と明るい気持ちになったり。面白いのは、それぞれの会話のテーマが、「暮らし」でありながら「社会」でもあること。
自分の暮らしは、自分の手で工夫してつくっていく。それは本当のことですが、それだけではどうにもならないこともある、そう感じることはありませんか。この社会が、もっと居心地よいものであれば、私たちの暮らしも、もっと心地よくなるのかも。それにはどうしたらいいか、一緒に考えてみませんか。

第三特集は「あの人の本棚より 特別編」。人気連載の拡大版で、今回は5名の方の「本棚」が登場します。
第四特集は「コロナ下の暮らしの記録」。こちらは、読者のみなさまから投稿を募り、短い期間にもかかわらず、多くのご投稿をお寄せいただきました。職業や内容にバラエティーが出るよう、編集部で何度も読み返し、悩みながら選び出した18編をご紹介しています。切実な話もあれば、ほのぼのとした話もあり、見えてきたのは「一人ひとりのかけがえのない暮らし」そのもの。ご投稿くださったすべてのみなさまに、心よりお礼を申し上げます。

振り返ると、この一冊は、とりわけ「言葉」を大切にした内容になりました。それは概念的な言葉というより、「暮らしと結びついた言葉」です。読んであなたが考えたことを、あなたの言葉で、まわりの人に話していただけたら。または、ご感想をお寄せいただけたら、本当にありがたく思います。

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付録の大判ポスターは、先述の花森安治による創刊号の表紙画と、連載陣のお一人、ヨシタケシンスケさんによる「一人ひとりの暮らし」を一枚に。75年前の創刊から、「いま」に至るまで、ずっとずっと「あなたの手帖」でありたい。そんな思いを込めて編んだ、手前味噌ながら、力作の号です。いろんな言葉を胸に響かせながら、どうぞじっくりとお楽しみください。

『暮しの手帖』編集長 北川史織

最新刊『新装保存版 暮しの手帖のシンプルレシピ』発売中です

2023年09月22日

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最新刊『新装保存版 暮しの手帖のシンプルレシピ』発売中です。

世の中に、「簡単レシピ」「時短料理」などをテーマにした良い料理本がたくさんありますね。でも、数あるなかでもこの本は、ちょっとひと味違います。『暮しの手帖』がご提案するのは、単に「早く簡単に」というだけの料理ではありません。バラエティ豊かな手法と味わいの、本当においしいレシピだけをご紹介しています。
この本は、2014年に刊行した別冊『暮しの手帖のシンプルレシピ』を書籍化したものです。私たち社員の間でも、「うちの台所でいちばん活躍している一冊」という声の多いレシピ集です。読者の皆様にも、とてもご好評をいただき、このたび永久保存版の単行本として刊行しました。

「早く簡単に」だけではないこの本の特徴は、次の3つの考え方です。
①「少ない材料と手順で作る料理」 これは文字通りシンプルなレシピです。シンプルな作り方だからこそ、素材自体のおいしさを生かすコツがあります。それに加えて、②「ほうっておいておいしくなる料理」 タレに漬け混んだり、じっくり煮込んだり、オーブンで焼いたり。時間がおいしくしてくれるから、しばし手が離せるのもうれしいところです。そして、③「作り置きを活用する料理」 そのまま一皿になる常備菜、仕上げのひと手間で完成するおかずの素、ばっちりおいしく味が決まるタレや合わせ調味料など。冷蔵庫にあるとうれしい作り置きをいくつかの料理に展開します。
レシピ指導は、「分とく山」総料理長の野﨑洋光さん、料理家のウー・ウェンさん、渡辺有子さん、飛田和緒さん。上記の3つの考え方の料理を、和洋中の多彩な料理を教えていただきました。レパートリーも広がるバリエーション豊かな内容で、毎日の食卓にお役立ていただけます。詳しくは、こちらをご覧ください。(担当:宇津木)

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自分の手でものを作る喜び

2023年09月20日

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自分の手でものを作る喜び。
(創刊75周年記念別冊「リンゴ箱で作る椅子」)

創刊75周年記念別冊を編むにあたり、編集部に保管されているバックナンバーを読み直しました。当時の号は紙質が粗く、年月が経って日に焼けているので、今にもポロポロと破れてしまいそうです。一頁一頁を、そっとめくりました。

戦後しばらくの間は、人々は必要に迫られて、なんでも手作りする時代でした。創刊当時の『暮しの手帖』では、身の周りのものを使って少しでも心地よく暮らすための工夫や知恵をたくさん紹介しています。1世紀2号(1949年)の、リンゴ箱を利用して作る椅子の記事も、その一つ。当時のリンゴ箱は、二十円ほどで果物屋で購入できたそうです。アイデアが興味深く、シンプルなデザインで作りやすそう。そこで実際に作ってみたら、どんな発見があるだろう?と思い、企画しました。

監修は、古材を使った家具や店舗の空間づくりをされている、ReBuilding Center JAPANの東野唯史(あずの・ただふみ)さん。東野さんもこの企画を面白がってくださり、当時の記事を読み解きつつ、ていねいにご指導いただきました。

おがくずとリンゴを入れて、全国を移動してきた働き者のリンゴ箱は、一つ一つに個体差があり、実際に解体して椅子を作るのは、思っていたよりもずっと大変でしたが、図工室にあったような、素朴な椅子が出来上がりました。
手作りの家具は愛着がわきますし、暮らしの一部を作っている実感があってうれしいものです。手でものを作ることのゆたかさ、大切さを思い、『暮しの手帖』の原点に触れたような経験でした。(担当:佐藤)

ランプに時計、風の子、ねこなど、12種類の絵柄です

2023年09月19日

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ランプに時計、風の子、ねこなど、12種類の絵柄です
(創刊75周年記念別冊 花森安治の挿画ステッカー)

編集部一同で頭を悩ませた、今回の特別付録。
色々な案が出た中から「ステッカー」に決定したものの、さて、どんなステッカーだと喜んでもらえるだろうか、貼ってもらえるだろうか……、そもそもステッカーってみんな何に貼るの? と付録作りに不慣れなメンバーで試行錯誤しながら作りました。

やっぱり花森さんの挿画を使いましょう! と決まったら、次は絵柄選びです。イラストデータを1世紀1号からすべて見返し、よさそうなものを(個人的な嗜好をもとに)集めてみたものの、編集長から「これはちょっと、トンガリすぎているのでは」との指摘を受け、選びなおし……。というやりとりを繰り返して、何とかできあがったのがこちらです。花森さんの挿画と『美しい暮しの手帖』のロゴ、合わせて12種類のステッカーです。

制作途中に届いた試作品を、まわりの席のスタッフに配って試し貼りをしてみたときのこと。私は仕事道具であるタブレットのカバーに、右隣の佐々木さんは手帳に、左隣の難波さんは卓上扇風機に、営業の関さんと進行の空地さんはスマホに……と各々好きなところにペタリ。「おお、かわいい!」

スマホやPCなどの持ち物や、お手紙などにも使えるサイズです。ぜひあちこちに貼ってお楽しみください。(担当:小林)

台所から生まれた、ユニークで愛らしい図案

2023年09月15日

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台所から生まれた、ユニークで愛らしい図案
(創刊75周年記念別冊「台所にある図案 花森安治の絵を刺繍に」)

ある日、『暮しの手帖』のバックナンバーをめくっていた時のことです。1954年に発行された、1世紀27号の「台所にある図案」という記事に目がとまりました。
「たとえば台所のいろんな器具も、
その目でみれば、またちがつた味の、
たのしい図案になりそうである」
誌面ではそんな言葉とともに、初代編集長の花森安治が描いた泡立て器やフライ返し、コーヒー茶わんなどの図案が紹介されています。なかには、蛇口や焼き魚をモチーフにしたユニークなものも!
これらの図案をハンカチやキッチンクロスなど、身近なものに刺繍してみたい……。そんな思いがむくむくと湧き、刺繍作家の髙知子(たか・ともこ)さんにご相談してみると、「コーヒ茶わんは、サテンステッチがいいかな。蛇口のモチーフは、チェーンステッチがおすすめ」などなど、図案に合ったステッチを提案してくださいました。

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暮らしの中に楽しさを見いだす、花森の眼差しが感じられる図案の数々。ぜひお好きなものをひとつ、刺してみていただけたらと思います。(担当:井田)

多くの人に愛されて

2023年09月14日

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多くの人に愛されて
(創刊75周年記念別冊「ロング連載を紹介します」)

暮らしに役立つ、ちょっとした知恵を募る「エプロンメモ」。
毎日をみずみずしく保つ、小さな心がけを綴る「暮らしのヒント集」。
ささやかな、けれどキラリと光るすてきな出来事をご紹介するエッセイ「すてきなあなたに」。
読者の方々に、家族にまるわる物語を寄せていただく「家庭学校」。

これらはいずれも、『暮しの手帖』愛読者にはおなじみの連載です。けれど、長い読者の方々でも、それぞれの長い歴史についてはあまりご存じないのかも……? ということで、創刊75周年記念別冊では改めて、ロング連載の成り立ちを紐解く頁をもうけました。

「エプロンメモ」の頁では、連載を開始した1世紀25号(1954年)以降の1世紀号の中から、22編を選りすぐってご紹介。「暮らしのヒント集」は、初回の2世紀1号(1969初夏)をはじめ、時代ごとに4号分を再録しました。同じく2世紀1号にスタートした「すてきなあなたに」の初回や、「家庭学校」傑作選も掲載しています。

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これらの頁を編むにあたり、バックナンバーを読み漁っていると、その時代、その時代の読者の方々の顔が、くっきりと見えてくるようでした。ことに、五十余年分の「家庭学校」の投稿を読み込んだ時には、深く感じ入るものがありました。
子どもの心配、夫婦の葛藤、嫁姑問題……。いつの時代の、どんな人の暮らしにも、何かしら悩みの種があり、みんな泣いたり笑ったりして生きてきた。そうして連綿と続く歴史の先に、今がある。そう考えると、投稿してくださった方々、読者の皆さん、そして現代を生きる私たち、すべての人の人生が、なんだかとてもいとおしく思えてくるのです。

こんなふうに温かい気持ちになれるのも、この連載が、この雑誌が、長きにわたって多くの人に愛されてきたからこそ。改めて感謝の気持ちが湧いてきます。(担当:島崎)

「わが家の味」を作る楽しさを教えてくれる2冊です

2023年09月13日

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「わが家の味」を作る楽しさを教えてくれる2冊です
(創刊75周年記念別冊「稲田俊輔さんが語る、『暮しの手帖』の料理」)

1969年発行の『おそうざい十二カ月』と、1972年発行の『おそうざいふう外国料理』は、暮しの手帖社が誇るベストセラーの料理本です。「ずっと持っている」「実家にあった」という方も多いのではないでしょうか。名立たる料理人が教える、毎日のおかずにぴったりの、作りやすくて誠実なレシピは、発行から五十余年が経ついまも多くの方に支持されています。近年では、『おそうざい十二カ月』に収録の「キャベツと豚肉とはるさめのしょう油いため」などが、SNSで「かんたんでおいしい」としばしば話題に上り、若い世代の方たちにも注目されています。

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本号では、この2冊をこよなく愛する料理人の稲田俊輔さんに、その魅力を伺いました。さらに、おすすめの10品を厳選し、レシピを再掲載。いまの時代にいっそう作りやすくアレンジするポイントもご解説いただきました。現代人の暮らしや舌に合う、材料や道具、味つけの工夫など、稲田さんのお話を聞いていると「作りたい欲」が刺激されます。

今回は特別に、稲田さんを編集部のキッチンにお招きして、編集部員と一緒に3品を作っていただきました。実はわたしは、この2冊のレシピで料理をしたことがなかったのですが、実際に作ってみると、「少ない材料と調味料で楽に出来て、とてもおいしい!」と実感。稲田さんは、「載っているレシピが最終目標なのではなく、まずはここからスタートし、調味料を加減するなどして、ご家庭の味を探ってみませんか」と提案します。それはまさに、この2冊でお伝えしているメッセージ。みなさまの「わが家の味」を作るベースとして、これからも末永くご活用いただけましたら幸いです。(担当:平田)

『暮しの手帖』にまつわる20の物語

2023年09月12日

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『暮しの手帖』にまつわる20の物語
(創刊75周年記念別冊「わたしと暮しの手帖」)

小社ホームページやSNSを通じて、「あなたの暮らしを変えた記事、印象に残る記事を教えてください」と呼びかけたのは、今年4月のこと。
わずか3週間ほどの間に、封書やメール、ウェブアンケートでたくさんのご投稿をいただきました。投稿者の年齢は20代から90代までと幅広く、挙げてくださった記事も第1世紀から5世紀まで千差万別。改めて、読者のみなさまと歩んできた75年という歴史の重さに思いをはせました。

この記事では、お寄せいただいた投稿文のなかから、20名の物語をご紹介します。
75年間の記事をできるだけ偏りなく揃えようと、悩みながら厳選したものです。
家族との悲喜こもごもの思い出、作り続けるわが家の味、子育てや仕事の悩み……。それぞれの暮らしに『暮しの手帖』がどんなふうにかかわっていたのか、とりどりの物語をどうぞご覧ください。

余談ですが、じつは「古い雑誌が手元にないので、号数や記事名がわからなくて……」というご投稿も多く見られました。そんな時、年代と記事の内容からおおよその見当をつけて、社内にある400冊以上のバックナンバーをめくり、「これだ!」と見つけたときのうれしさといったら。読者のみなさまの思い出を一緒にたどるように、過去のさまざまな記事に触れることができたのは、私たちにとっても幸せな経験でした。

最後になりましたが、このたびはたくさんのご投稿をありがとうございました。残念ながら採用には至らなかったご投稿も、今後の記事づくりの貴重な資料とさせていただきます。(担当:田村)

75周年の「奇跡」、ありがとうございます

2023年09月11日

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75周年の「奇跡」、ありがとうございます
――編集長より、『創刊75周年記念別冊』発売のご挨拶

こんにちは、北川です。
じつは、今年の3月あたりから、私たち編集部は本誌と並行して、『創刊75周年記念別冊』をコツコツと制作していました。ようやく完成し、手にとってパラパラとめくると、本誌が仕上がったときとはまた違った感慨が湧き上がってきます。うれしいなあ。
表紙の絵は、初代編集長の花森安治が描いた、1世紀5号(1949年10月発行)の表紙画です。ちょっと並べてご覧いただきましょう。今回の別冊の表紙のほうが色鮮やかで、ディテールもくっきりとして美しいと思われるはずですが、これはまったく同じ絵なんですよ。
それだけ印刷技術が進歩したということですが、もしもこれを花森さんが見たら、悔しいような、うれしいような、なんとも複雑な気分になるんだろうなと想像します。

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この別冊の大きなテーマは「自己紹介」です。
戦後まもない東京では、いろんな雑誌が雨後の筍のように創刊されたそうですが、1948年9月20日に産声をあげた『暮しの手帖』も、その一つでした。当初から広告をとらなかったこの雑誌が、75年もの間、時代の変化に揉まれながらも残ることができたのは、なぜなのだろう。創刊からいまに至るまで、変わらず抱き続けている理念って?
もしかしたら、『暮しの手帖』を長くお読みいただいている方にとっては「基本の知識」かもしれない「自己紹介」も、冒頭でコンパクトにわかりやすくまとめてみました。巻末には、日本の戦後の歴史とともに歩んだ『暮しの手帖』の主なトピックを「年表」に。
もう一つ軸にしたのは、読者の方に綴っていただく、「『暮しの手帖』にまつわる人生の物語」です。
表紙をめくった頁にある、「これは あなたの手帖です」から始まる花森さんの言葉の通りで、『暮しの手帖』を単なる雑誌というよりも、個人的な「手帖」のように思ってくださる方も多いように感じています。たとえば余白に感想を書き入れたり、心に留まった文章に線を引いたり。また、編み物の記事などは、「いまは忙しくてなかなか編めないけれど、仕事をリタイアしたら、きっと」と付箋をつけておき、掲載から10年後に念願かなって編んだ、といったお話を何度か伺ったこともありました。
そこで、「あなたの暮らしを変えた記事、心に残る記事を教えてください」と投稿を募ったところ、思った以上にたくさんの方からご投稿をお寄せいただき、うれしい悲鳴でした。それらのご投稿と、該当する記事の誌面を一緒にレイアウトして並べてみたところ、一つひとつに人生のドラマがあって、素晴らしい。やっぱりこの雑誌は「読者とともに歩んできた雑誌」なのだなあと、しみじみとありがたく思いました。

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もしも私が「心に残る記事」を選ぶとしたら……と考えたときに真っ先に浮かぶのは、1世紀49号(1959年)の連載「ある日本人の暮し」です。この連載は、市井の人びとの悲喜こもごもある暮らしぶりを花森自ら取材・執筆したルポルタージュで、映画のワンシーンのようなモノクローム写真の力も相まって、胸に迫るのです。
どの回も心に残りますが、私がもっとも好きなのは、この1世紀49号の回で、タイトルは「共かせぎ落第の記」。鉄道機関士である夫とその妻が、時にすれ違いがあって悩みながらも、慈しみあいながらつましく暮らしていく心情が綴られた記事です。
じつは7年前、まさにこの記事の主人公である川端新二さん・静江さんご夫妻から「読者アンケートはがき」をいただき、そこにはこんな言葉がしたためられていました。
「第1世紀49号の『ある日本人の暮し』に登場させていただきました。今から57年前のことです。貴誌は全部、大切に持っています。当時、若かった私共夫婦も、今では合わせて170歳になりました。熱烈な、『暮しの手帖』の応援団のひとりと自負しております」
すごい! ああ、この川端さんご夫妻にお会いしたい! 
当時の編集長だった澤田さんに話をしたところ、「取材に伺ってみたらどう?」と勧められ、記事にしたのは4世紀84号(2016年)。今回の別冊には、この記事を再編集して掲載しています。モノクロームの写真は、当時のネガが発掘できたので、新たにデータ化して印刷しました。これがとても美しいので、どうぞ写真もじっくりとご覧になってください。

75年の間、手から手へとバトンをつなぐようにして発行し続けてきた『暮しの手帖』。広告をとらない雑誌ですから、購読してくださる方々がいらっしゃらなければ、けっして成し遂げられなかったメモリアルです。まさに「奇跡」だなあと思うのですが、これは手前味噌ではなくて、つねに伴走してくださる読者の方が起こしてくださった奇跡。心より、お礼を申し上げます。
そのほかの内容としては、往年の名作料理をいまに作りやすい解説を添えてまとめた「とじ込みレシピ集」や、「すてきなあなたに」「家庭学校」などロング連載の秘話を紹介する記事、花森安治の愛らしい絵を刺繍にして楽しむ記事など、ちょっと欲張って盛りだくさんになりました。付録の「花森安治 挿画ステッカー」は、スマホやパソコン、お手紙などにどうぞ。
秋の夜長に、お茶でも飲みながらゆっくりと楽しんでいただきたい、面白くって温かな一冊に仕上がりました。ぜひぜひ、お手に取ってご覧ください。

『暮しの手帖』編集長 北川史織

無名戦士の墓

2023年08月15日

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敗戦から78年。私たちが、戦争の記憶と向き合う機会を失くさぬように。当事者でなくても、たとえ想像が追いつかなくても、メッセージを受け取った私たちが「語り継ぐ」ことで、何かを変えられるのなら。

『暮しの手帖』初代編集長の花森安治が、夏に足を運んだ場所が「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」でした。花森はその場所を「無名戦士の墓」と題し、文章を綴りました。下記より、その全文をお読みいただけます。

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無名戦士の墓  文・花森安治(『暮しの手帖』初代編集長)

 

もう町中どこでも、朝から夜中まで、年中ぶつかりあい、ひしめきあい、ごったがえしているこの東京の、しかも、そのまっただなかに、ポカッとこんなところがあるというのは、なんだかウソみたいな気がする。
一万五千平方メートル(四千七百坪)のだだっぴろい敷地は、ざっと見わたしたところ、人っ子ひとり見えない。敷きつめた砂利の一つ一つまでが、きちんと真夏の午後の太陽の下でしいんとしずまりかえっていて、いちめんのセミしぐれである。どこもかしこも、やけに明るいのである。そして、涼しい風が吹いていた。無名戦士の墓地である。

 

……兵隊たちは、ひとりのこらず、小判形のシンチュウの小さい札を持たされていた。両はしの穴にヒモを通して、肩からじかにはだかにかけていた。札には部隊記号とその兵隊の番号が乱暴にうちこんであった。
フロに入るときでも、どんなときでも、はずしてはならぬと命令されていた。野戦ではフロなどめったに入れぬから、白いもめんのヒモはすぐにどすぐろくよれよれになり、うちこまれた数字にはアカとアブラがこびりついていた。
戦死したとき、身元を確認するためのもので、「認識票」というのが正しい呼び名だったが、兵隊たちは「靖国神社のキップ」と言っていた。

 

……この墓地は、皇居のお堀に向きあっていて、英国大使館のまえの青葉通り、都電なら三番町の停留所から、だらだらと千鳥ケ淵の方へ下ったところにある。小さな札が出ているが、無名戦士の墓とは書いてない。「千鳥ケ淵戦没者墓苑」である。ふらっとやってきた高校生が、事務所で「おじさん、ここはなんの古戦場ですか」と聞いたという。
歩きにくい砂利道を上ってゆくと、横に長い前屋があり、その柱のあいだから向こうに六角堂がみえる。美しいつり合いである。六角堂の中央に、アジアの各地から集めた石で焼いた陶棺がすえてある。そばの台に小さい草花の束がいくつかおかれて、「一束十円」という文字が添えられている。
ここへくる人は、一日に百人をこえることはあまりない。しかも、この六角堂におまいりするのは、そのうちの一割あるかなしかだという。

 

……兵隊たちは、歩きつかれてくると、食べものの話と、家に帰る話をした。ここから日本へ帰るにはどうしたらよいかを、大まじめで研究した。いつもぶつかるのは海であった。陸地はなんとかたどってゆくことにしたが、朝鮮海峡までくると、それまで活気のあった会話が、いつでもポツンと切れた。だまりこんで疲れた足をひきずりながら、ああ帰りたいな、とおもった。
そんなとき、ひょっとハダの認識票が気になることがあった。「靖国神社直行」、日本へ帰るいちばんの早道にはちがいなかった。

 

……この無名戦士の墓を作ることは、昭和二十八年の閣議できまっていた。しかし、工事がはじまったのはおととしの三十三年、そして去年の春、やっとのおもいで出来上がった。工費五千七百万円、建物は谷口吉郎氏、庭は田村剛氏の設計である。
出来上がった日には、天皇と皇后がおまいりになった。大臣も参列したろう。しかし、それっきりであった。
外国には大てい無名戦士の墓があって、各国の元首や首相級の人物がその国を訪れると、必ずおまいりするのが儀礼である。まえの首相岸信介氏が外遊したときも、もちろんそうしてきたが、出かけるまえ、日本の無名戦士の墓にまいってくれとたのんだら、忙しいからと花束だけをとどけてよこした。
きまったお祭りの日があるわけでもない。憲法記念日とおなじで、作ることは作ったが、作りっぱなしである。

 

……古風なことを言うようだが、人間には、やはり、その人そのひとに持って生まれた星というものがあるのだろうか。
兵隊は、みんな家に帰りたかった。そして帰ってきた者もある。帰ってこなかった者もある。
五年ほどまえの、押しつまった年の暮れ、千葉の稲毛にあった復員局の分室を訪れたことがある。荒れはてた構内の枯れ草のなかに、もとの部隊の弾薬庫があって、うすぐらい中に、天井までぎっしり遺骨がつまっていた。灯明に火が入ると、どの箱にも「無名」と書いてあった。全部で二千五百柱だと聞かされた。
みんな名前があったにちがいない。それが役所の戸籍も焼け、連隊区の兵籍簿もなくなってしまったのだろう。そして一目でいいから会いたかった家族も、死んでしまったのかもしれない。
シンチュウの認識票など、なんの役にも立ちはしなかったのだ。この兵隊たちは、靖国神社にさえ入れてもらえないのだ。名ナシノミコトでは、まつることができないのだそうだ。

 

……そのために、この無名戦士の墓を作ることになったのだが、そうときまってからも、なかなかできなかったのには、いろいろ裏があったということである。
一つは靖国神社の反対だったという。戦後、ここも単なる一「宗教法人」になって、国からは一銭も出してはならぬことになった。それなのに、無名戦士の墓に何千万という金を出すとは何事であるか、ということだったらしい。
無名戦士の墓ができ上がると、外国の例のように、国賓がそちらへおまいりするようになるだろう、それではこっちはどうなるんだ、ということもあったのかもしれない。
政府がそれで弱腰になって、作ることは作ったが、あとは知らぬ顔をしていることになっているのかもしれない。

 

……名前がわからないから、生きていたとき、どんな暮しをしていたひとたちか、わかるはずはない。
わかることは、大部分が、たった一枚の赤紙で、家族と引きさかれてしまって、それっきり死んでしまった兵隊たちだということである。おなじ兵隊でも、えらい将校なら、死んでも名前がわからぬことはあるまい。屑ラシャの黄色い星が、ひとつかふたつか三つ、つまりただの兵隊だったにちがいない。ひまさえあると、家に帰ることばかり考えていた兵隊たちのうちのだれかなのだ。

 

……その人たちは帰らなかった。おなじ兵隊のひとり、ぼくは帰ってきて、それから十五年も生きて、いまこの人っ子ひとりいない妙に明るい墓地に立っている。
そして、人には持って生まれた星があるのかと古風なことを考えている。こうして生きて帰った者もあるし、死んで帰ってきた者もいる。死んで靖国神社にまつられているものもあれば、名もわからず弾薬庫のすみにおかれ、やっと墓が出来ても、国も知らん顔、だれもかえりみようとしない者もある。(こんな国ってあるものか)
この墓には、どういうわけか一字も文字が書かれていない。しかし「祖国のために勇敢に戦って死んだ無名の人たちここに眠る」といったふうの言葉だったら、むしろ、なんにもない、このままの方がよい。
どんなに帰りたかったろう。ぼくならそう書いてあげたい。あすは、十五年目の八月十五日である。

 

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初出:『朝日新聞』日曜版「東京だより」(朝日新聞社・1960年8月)

収録:『一銭五厘の旗』(1971年10月刊)
   『花森安治選集 第3巻』(2020年11月刊)
 


暮しの手帖社 今日の編集部