第1回 東京を離れ、森にやってきた劇作家

2025年03月25日

第1回 東京を離れ、森にやってきた劇作家

僕の仕事は、舞台や映像や出版などの創作です。美大を卒業してから、自分のアトリエを構えて働いています。アトリエの名前は「スタジオコンテナ」といいます。

かつては人に会う機会は多い方がいいと思い、都会の真ん中の、東京タワーが見える部屋で執筆していました。仕事柄、机に向かってじっとしている時間が長いので、どうしても外に出たくなります。屋上付きの物件を借りていたので、そこでラジオ体操をしたり、神宮球場でナイターがある日は、花火を眺めたりしていました。東京一望の屋上は、なかなか気持ち良かったのですが、周りにはもっと高いビルがあったので、僕のラジオ体操は見えていたはず。

僕の仕事はコントや演劇といった芸能ですが、メディアへの露出に積極的ではありませんでした。「なんでテレビに出ないの?」って、いやほど言われました。いやでした。
劇場の客席数には限りがあります。無駄に知名度を上げて、これ以上チケットが手に入らない状態をつくるのもよくないと思っていましたし。

そうやって知名度を抑えていたつもりでも、人の多い街を歩けば、声をかけられたりもしました。ほとんどの場合、節度のある接し方をしていただけるのですが、ときにはマナーの良くないケースもあり、僕にはこれが、けっこうなストレスでした。なので出歩くときは、いつもなんとなく緊張していました。

芸能の仕事で結果を出せるようになってくると、変な関係者が近づいてきたりしました。また、仕事が大きくなるにつれ、変わってしまった人なんかもいました。詳しくは書かないですけど、もう本当に残念です。というか、人間が怖いです。

そんな“人疲れ”が溜まってきた頃に、気がつき始めたんです。
「僕は、人も東京も、あんまり好きじゃないんだな」
ってことに。

というわけで、僕は環境を変えることにしました。

机の場所は東京じゃなくてもいいって考えたら、急に気が楽になりました。候補となる場所探しは、どんどんエリアを拡大していきました。

以前から、時間ができると自然の豊かなところによく行っていました。スタッフの住む静岡の森へ。ウイスキーの蒸留所がある山梨の森へ。恐竜の化石を掘りに福井の森へ。先輩に会いに北海道の森へ。
その度に、
「こういうところに自分のアトリエがあったらいいなあ」
なんて思っていました。
僕は横浜育ちですけど、市内には大きな森林公園のようなところがあって、自宅はそのすぐ脇にありました。大人になって東京に住むようになったことで、いつのまにか“森不足”になっていたのかもしれません。

理想のアトリエを絵に描いてみました。森があって、道があって、建物がある。なんというか、“ザ・もりのおうち” 。さすがにそのまんまの物件は絵本の中にしか存在しないでしょうけど、できるだけ理想に近いところを探し続けました。たまにいい感じの物件が現れるんですけど、なかなか条件が揃わず、決定までには至りません。
その度に、
「からの?」
って思ってました。
「ここがダメだったってことは? よっぽど素晴らしい物件を用意してくれてるんですよね? 不動産の神様よ」
って。

そうして探すこと、2年半。なんと、まさかの、あにはからんや、理想の物件に出合ったのです。360度を緑に囲まれた、絵に描いたとおりの嘘みたいな建てものに。中古の物件で、元々住んでいた人が、なかなかワイルドな使い方をしていたようで、なかなかに、なかなかでした。内見に同行したスタッフが入るのを拒んだくらいです。最寄りの駅などありません。どこへ行くにも車の距離です。徒歩圏内にある店といえば、野菜の無人販売所くらい。電波も悪くて、電話が途切れます。
僕がこの物件を見て思ったこと。
「こんなとこ、誰が選ぶんだ」
次に思ったこと。
「僕だ」

東京タワーに別れを告げ、僕のアトリエは森の中に大移動しました。時間もお金もしっかり使って、大掃除&大改造。僕好みの創作環境に大変身させることができました。東京では得難い広さです。それまで縦に積み上がっていた本が、余裕で横に並べられます。でっかい絵を、じゅうぶんな距離で眺めることもできます。プロジェクターを引いて置けるので、映像を大きく投影できます。駐車スペースもじゅうぶんにあります。キャッチボールも素振りも余裕でできます。ギリ、ヘリ、降りられます。

音やにおいも変化しました。東京のアトリエは焼き鳥屋が近かったので、たまにすごくいいにおいがしました。首都高が近かったけど、それは音もにおいも気になりませんでした。ところが、森に来て気づいたんです。首都高、音もにおいも、あったんです。なれてしまって感じなくなっていただけでした。というのも、森で感じる音とにおいがまったく違ったんです。木々のやさしいざわめき、虫や鳥や動物の鳴き声。雨が降る前の森のにおいには、子どもの頃の記憶が蘇りました。焼き鳥屋のいいにおいのかわりに漂ってくるのは、どこかの農家の焚き火のにおい。

人疲れからも、すっかり解放されました。散歩、し放題です。ラジオ体操、やり放題です。そこらへんの地面に、寝っ転がったっていいんです。「見られてるな」と思っても、タヌキとか、そんなやつらです。

森は僕を利用したりしません。森は僕を騙したりしません。でも、森が僕を試すことは、ときどきあります。森が与えてくれる、油断と緊張のちょうどいいバランスの中で、今僕は創作活動に専念できています。コントや演劇をつくることが、映画を撮ることが、絵を描くことや文章を書くことが、すごく楽しいです。

ようこそ、森のアトリエへ。ここでの日々をご紹介します。おや、窓の外から誰かの叫び声が聞こえます。多分キジです。

つづく

絵と文 小林賢太郎


小林賢太郎(こばやしけんたろう)
1973年生まれ。横浜市出身。多摩美術大学卒。脚本家・演出家。コントや演劇の舞台作品、映像作品、出版など。2016年からアトリエを森の中に構えて創作活動をしている。