あなたがそこにいるだけで

2025年01月23日

あなたがそこにいるだけで
――編集長より、最新号発売のご挨拶

こんにちは、北川です。
34号の表紙の主人公は、マフラーを巻いたネズミくんです。蝋梅の花を手に持って鼻先をうずめ、なんとも幸せそう。わかるなあ、待ち遠しかった春をめいっぱい味わっているんだよね。作者は、27号に続き2回目の登場となる、絵本作家のみやこしあきこさんです。

校了日の翌日、今月9日の朝のことですが、この表紙の印刷立ち会いに出かけました。表紙を刷ってくださっている望月印刷さんは、東京スカイツリーのふもとの街にあり、浅草のわが家から歩いて20分余り。プリンティングディレクターの中村祐輝さんや現場の職人さんたちと刷り出しを確認し、何度か調整をしていただいて、「これでよし」となったらマジックペンでサインを入れ、印刷開始です。
どんなに世の中がデジタル化し、機械が進化したとしても、印刷の仕上がりを決めるのは人の「目」と「手」なんだな。印刷所の仕事を間近に見ると、いつもそう思います。
同時に、私たち編集者のアタマの中にあった「小さな小さな企画のタネ」が、幾度もの話し合いや取材撮影を重ね、いろんな人の手を経て頁になり、一冊の雑誌になる。それがまたいろんな手段で皆さまのもとに届き、読んだ方がそれぞれに、暮らしの中で役立ててくださったり、ある思いを抱いてくださったりする。その不思議さに胸を打たれるのです。

望月印刷さんからの帰り道、隅田川を渡ると、川面も空もすっきりと澄み渡っていました。なんだか清々しく、「この日のことを忘れないだろうな」と思ったのは、私が今号をもって編集長を退任するからです。
2020年1月発行の4号より31冊。23年9月に発行した『創刊75周年記念別冊』を加えれば、32冊。5年余りの間、読んで支えてくださった皆さまへ。本当に、ありがとうございました。
振り返れば、スタートの4号の表紙に掲げたコピーは「丁寧な暮らしではなくても」。この言葉は、少し一人歩きしてしまった感がありましたが、「暮らしには、それぞれの価値観や満足があっていいし、誰かと比べて不安になったりしなくていいんじゃない」、そんな自分なりの思いをのせたコピーでした。
自分にとって、満足のゆく暮らしとは? それを探して見つけ出すために、『暮しの手帖』が一つの「ヒント」や、(おこがましいけれど)「よりどころ」になれたらいい。「これこそが正解である」という押しつけにならず、いろんな生き方をする人たちが、それぞれに居心地のよい広場みたいな誌面をつくれたら。そう願って編んできました。
そう、大事なのは「一人ひとり」なんですよね。今号の巻頭特集「わたしの手帖」の取材で、作家の小川洋子さんのお話に耳を傾けながら、そんなことを改めて思いました。

私は学生時代から小川さんの小説を愛読してきたのですが、本棚の一角を占める著作を再び読んでみると、その登場人物たちは不思議なほど、世界の片隅でひっそりと生きる、少し変わった人たちが多いのです。『博士の愛した数式』の、記憶が80分しかもたない「博士」然り。『猫を抱いて象と泳ぐ』の主人公の、11歳で身体の成長を止めたリトル・アリョーヒン然り。
それはなぜなのでしょう? と尋ねると、小川さんは「そうした人たちに光を当てたい、といった目的でははない」と断ったうえで、こんなふうに答えてくださいました。
「作家としてそばについていたいって気持ちにさせられるのが、社会的にはちょっと弾き飛ばされちゃって、居場所がなかなか見つからない人なんです」
「でも彼らは、彼らに最もフィットした居場所を見つけ出すんですよ。ほかの人から見たら、なんの生産性もなく、さびしげな、孤独な居場所だったとしても、その人にとっては唯一無二で必要な場所なんですよね」
ああ、だから、私は小川さんの小説にどこか「救われる」思いがするのだな。ままならない現実にもがいても、決してハッピーエンドではなくても、「自分にとって唯一無二の居場所」を見出した彼らの生きざまは清々しい。そんなふうに胸に落ちたのです。

もう一つ、ここで触れたい特集は、「ピエールさんと両親の凸凹三人暮らし」です。自身の実家が舞台の実話を、ユーモアのにじむ筆致で綴ってくださったのは、翻訳家の伏見操さん。絵本作家のささめやゆきさんが、文章から想像を広げて絵を描いてくだいました。
この頁は、できれば先入観を持たずにお読みになり、思いを深めていただけたらと望みます。あなたの隣に暮らしていそうな人たちが、「居場所」を求めて繰り広げる、涙あり笑いありの物語です。

先に述べたように、4号の表紙に掲げたコピーは「丁寧な暮らしではなくても」。
そして今号のコピーは「あなたがそこにいるだけで」。
二つをつなげて読んでみると、私から皆さんにそっと手渡したい、小さな花束みたいな言葉になりました。
「終着駅は、始発駅」。今号の編集後記「編集者の手帖」には、そんな言葉から始まる文章を書きましたので、お読みいただけたら嬉しく思います。
さようなら。お元気で。
どうかこれからも、「あなたの手帖」を温かくお支えいただけますように。

『暮しの手帖』編集長 北川史織


暮しの手帖社 今日の編集部