100歳の今も、慕うひと
『暮しの手帖』創刊号に、藤城清治の「人形劇」が載っていたことをご存じでしょうか。
童話「ピータァ・パン」の挿絵として、藤城清治が結成した人形劇団「ジュヌ・パントル」による人形劇が掲載されたのです。
それは、大作家・藤城清治が影絵を作り始める前、まだ大学を卒業したばかりの青年だった頃の話。このたぐいまれな才能をいち早く見出した人物こそ、『暮しの手帖』初代編集長の花森安治でした。
発売中の別冊『100歳おめでとう 影絵作家 藤城清治』では、藤城清治と『暮しの手帖』の歴史を、全16頁にわたって紹介しています。
さて、冒頭でご紹介した『暮しの手帖』創刊号の記事は好評を呼び、すぐに連載が決まりました。そして次の号の打ち合わせをしていたとき、大きな契機が訪れます。偶然起きた停電の中、ろうそくを灯して語り合ううちに、二人はふと、海外の影絵劇を思い出したのです。
こうして始まったのが、のちに長く続くことになる影絵とおはなしの連載。『お母さんが読んで聞かせるお話』シリーズとして書籍にもなり、「子どもの頃に愛読していました」という声が今でも届く人気連載です。
それからは影絵連載を中心に、さまざまな頁の挿絵を藤城清治が担当しました。彼が影絵作家としてみるみる才能を開花させていったときも、また、仲間や仕事を失って失意の底にあったときも、その背中を押したのは花森だったといいます。
二人の関係は、1978年に花森が亡くなるまで30年余りにわたって続きました。そして花森亡きあとも、藤城清治と『暮しの手帖』の縁は続いています。
誌面では、影絵連載はもちろん、素描やペン画といったあまり世に出る機会のなかった挿絵も紹介しています。藤城ファンも必見の貴重資料がたっぷりです。
今年、100歳を迎えた藤城さんは、今でも折に触れて「花森さんにはお世話になったから」と話してくださいます。同じ理想を共有した二人の友情がどれほど固いものだったか、他人には想像もつきません。けれど、彼らが共に歩んだ歴史を知ると、少しでもそこに触れられたような気がするのです。(担当:山崎)
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