普通の暮らしのありがたさ

2024年01月25日

普通の暮らしのありがたさ
――編集長より、最新号発売のご挨拶

こんにちは、北川です。
早いもので、すでに1月も終盤です。みなさまも、お正月の温もりを胸に、日々の家事や仕事にいそしんでいらっしゃるのかな、と想像します。
私は大晦日の午前より、石川県珠洲市に出かけていました。22号の特集記事「湯宿さか本 坂本菜の花さん 普通をしっかりやっていく」を、ご記憶の方もいらっしゃるでしょうか。珠洲の里山に佇むこのお宿では、年末年始をお客さんたちと賑やかに過ごすのが恒例とのことで、そこに私も混ぜていただいたのです。
各地から集まった人びとと坂本さん一家、総勢20人あまりで、大掃除、餅つき、グループに分かれて蕎麦打ち大会。元旦は、お節を盛りつけていただき、海辺の「須須神社」へ初詣に出かけました。
あの地震が起こったのは、夕食前にみなでくつろいでいたときのことです。立っていられず、ただうずくまって頭をかばうだけ。近くにいた女性は、9歳の少年をしっかり抱き抱えてうずくまっていました。幸い、建物は窓ガラス一枚割れず、けが人も出ず。しかし、翌日に周辺を歩いてみると、半壊した家も多く、アスファルトには大きな地割れが走っていました。
地震当日の夜は、念のために高台にある消防署の駐車場に避難し、初めての車中泊。ここには電気が通っていて、こうこうと光る街灯のそばに車を停めたので、私はその灯りのもとで本を読むことができました。清潔なトイレが使えないストレスや、「いつ帰京できるだろうか」という不安はありましたが、ページにぼんやり浮かぶ言葉を追っている間は、心が静まったものです。

それから数日間の出来事は、最新号巻末の「編集者の手帖」に書きましたので、お読みいただけたら幸いです。人の手で作られた温かな食事をとること、お風呂にゆっくり浸かり、寝床で体を伸ばして眠ること。そんな「普通の暮らし」のありがたさが身に染みましたし、同時に、いまも不自由を強いられている方々のご苦労を思います。
今号では「漆器を使ってみませんか?」という特集記事を組んでおり、ここに掲載した漆器の多くは、輪島に根ざした作り手によるものです。私も幾度か訪れたことのある輪島は、鈍色の民家が建ち並ぶ、慎ましい風景が魅力の街ですが、ご存じのように、今回大きな被害を受けました。
しかしながら、作り手がいて、求める人がいる限り、輪島の漆芸産業は必ずや復興するはずです。被災した方々が一刻も早く、穏やかな暮らしを取り戻せることをお祈りいたします。報道がしだいに下火になっていったとしても、ささやかでも自分ができる支援は何か、考え続けていきたい。そう思います。

ロシアとウクライナの戦いは2年近く続き、昨秋からは、パレスチナのガザ地区で戦争が勃発、子どもをはじめとする民間人の虐殺に対し、日本でも抗議の声が上がっています。一方で、「日本も自国の安全のために、防衛力(抑止力)を高めるべきでは」という意見も聞かれます。他国に攻め込まれないために、威嚇として武器を持っていたほうがいいのでは、といった考えですね。
そんな「いま」の状況を考えたとき、思い浮かんだのは、初代編集長の花森安治が冷戦の時代に書いた「武器をすてよう」でした。この文章は、ちょっと意外なほど呑気な調子で始まり(地球上で暮らすいろんな国の人々のユーモラスな描写)、読者の心を惹きつけておいて、しだいに本題へと切り込んでいくようなつくりとなっています。
訴えていることはごくシンプルで、まさに「武器をすてよう」。いまの時代なら、「お花畑的な思想じゃない?」と笑う人もいるかもしれません。
でも、はたして本当にそうでしょうか。花森は、そんなふうに笑う人も想定して、これを書いたように私には思えるのです。

この文章を今号に載せるにあたり、私たちの大先輩である元編集部員で、花森と20年ほど仕事をした、河津一哉さんに話を伺いました。
花森が「武器をすてよう」を発表したのは、『暮しの手帖』第1世紀97号(1968年)。一冊丸ごと、読者の投稿による「戦争中の暮しの記録」を特集した96号の、翌号でした。96号が大きな反響を呼んだことから、花森はある達成感を抱いて「武器をすてよう」を書いたのではないか、そう河津さんは話します。
しかし、それから数年後、1970年代に入って学生運動が盛んになった頃には、花森は、変わりゆく日本の状況に「苛立ち」を覚えていたように見えたといいます。若い編集部員が戦争にまつわる軽々しい発言をすると、花森はひどく怒り、デモに行きたいというある編集部員には、こんなふうに話したといいます。
「気持ちはわかるが、きみがジャーナリストを志すなら、それよりもまず、ペンの力を磨け。人の心を動かすような文章が書けなければ、ぼくらは押されていってしまうんだぞ」
大きな力に押されていかないために、何を書き残すか。「武器をすてよう」は、やがて改稿のうえ、自撰集『一銭五厘の旗』に収録されました。花森の遺言の一つとも言えるこの文章を、いまこそお読みいただけたら嬉しく思います。

表紙画は、画家の今井麗さんによる「FLOWERS」。ひと足早く、春をお届けいたします。12本の特集記事は、明日より一つずつ、担当者がご紹介しますね。
寒さはこれからが本番です。どうぞご無理のないように、身体を休めながらゆったりとお過ごしください。

『暮しの手帖』編集長 北川史織


暮しの手帖社 今日の編集部