孤独を糧に生きた人
(11号「銅版画家・南 桂子 夜中にとびたつ小鳥のように」)
こんにちは、編集長の北川です。
年に数回は足を運ぶ、好きな美術館がいくつかありますが、日本橋蛎殻町にある「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」もそのひとつです。
ここは、世界的な銅版画家である、故浜口陽三さんの個人美術館。黒いベルベットのような背景に、ぽっと浮かび上がる真っ赤な「さくらんぼ」ほか、その作品を観れば、「ああ、知っている」と思う方も多いことでしょう。
浜口さんの作品に惹かれて通ううちに、同じ展示室に飾られた数点の作品が、妙に心にひっかかるようになりました。少女、小鳥、木々、お城、蝶……。精緻な線で描かれた世界は、ひと口で言えば「メルヘン」なのですが、静けさ、孤独感、寂寥感がみなぎっていて、ちょっと「こわい」くらいです。
解説を読むと、これらは浜口さんの妻、故南桂子さんの作品とあります。1950年代からパリで暮らし、80年代にはサンフランシスコへ移住して、晩年近くまで海外を中心に活躍したふたり。夫婦であっても、そして同じ銅版画でも、まったく違っている作品。
いったい、南桂子さんとはどんな人だったのだろう? この時代に日本を離れて40年以上、作家としてどんな人生を歩んだのだろう?
興味を抱き、学芸員の方にお話を伺ったのが、今回の記事を編むきっかけでした。
取材をはじめたのは、昨年の4月上旬、東京に緊急事態宣言が出される直前のこと。まず拝見したのは、南さんが遺した夥しい数のアクセサリーですが、どれも変わっていて、少しの毒を感じさせ、そして美しい。これらを選んだ南さんという人はきっと、自分というものを知っていて、人と同じように無難に生きることを好まなかったに違いない。そう想像しました。
さらに、詩人の谷川俊太郎さんほか、交流のあった4名の方々にお話をお伺いすると、南さんの人となりが少しずつ浮き彫りになっていく……。それはまるで、いくつもの版を重ね刷りして、亡き人の像を結ぶかのごとく作業でした。
いま、南さんの作品を観ると、この状況下で誰もが抱える「孤独」を静かに分かち合えるような、不思議な穏やかさが胸をあたためるようです。もしかしたらそれは、孤独を糧にした人だからこそたどり着けた、ほんとうの心の平安なのかもしれません。
記事でご紹介した5点の作品と表紙の作品は、下記の展覧会にて、前期・後期に分けて展示されます。原画のすばらしさを、ぜひ味わっていただけたらと思います。(担当:北川)
◎南桂子生誕110年記念「蝶の行方」展
会期:2021年4月10日(土)〜8月9日(月・振休)
※前期(4月10日〜6月6日)、後期(6月12日〜8月9日)で作品の入れ替えをします。
場所:ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション(東京都中央区日本橋蛎殻町1-35-7)
https://www.yamasa.com/musee/