花森安治選集 全3巻 第2巻『ある日本人の暮し』を発売しました!

2020年09月24日

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花森安治選集 全3巻
第2巻『ある日本人の暮し』を発売しました!

庶民の日常茶飯にひそむ哀と歓。
情感滲にじむモノクローム写真と、
花森の卓越した文章で織りなす、ルポルタージュの傑作!

『暮しの手帖』の初代編集長として30年間指揮を執った花森安治。数々の名物企画を生み出し、昭和の名編集長と評されています。
なかでも、日用品や家電製品の性能を調べる「商品テスト」は有名ですが、花森が最も心血を注いだといっても過言ではない企画が、このルポルタージュの連載「ある日本人の暮し」だったのです。
連載開始は1954年。花森自身が取材に出向いて執筆した期間は14年にわたり、その数55編におよびます。
連載第1回「山村の水車小屋で ある未亡人の暮し」(1954年)と、
第2回「ある青春」(1954年)では、戦後10年近くが経とうとする当時、貧しくとも、必死に生きる女性たちが登場します。密着取材のもと、彼女たちに寄り添うように、書き手・花森はその暮しを記録しました。
きっと手ごたえを感じたのでしょう。これに端を発し、『暮しの手帖』の誌面で取材先を募集するようになりました。
〈この号の「ある青春」は、前号の「山村の水車小屋で」にひきつづいて、いまの日本の、いわば名もない人たちの、ありのままの暮しの記録です。これは当分ずっとつづけてまいりたいと考えておりますが、つきましては、この記録について、みなさまのお力ぞえをいただけましたら、どんなにありがたいかと存じます。
 私の暮しを写してもいい、という方がございましたら、お知らせいただきたいのです。こちらの希望としては、なにか特別なことのない、どこにでもあるふつうの暮し方をしていらっしゃる方なら、どなたでも結構です。都会でも、農村や山村漁村でも、日本中どこでもかまいません。……〉(『1世紀24号』「あとがき」より)

それからというもの、取材先は全国へと広がります。
それぞれに家庭の事情を抱え、さまざまな職業に就き、激動の昭和をひたむきに生きる人々の物語が紡がれていきました。

●「しかし、私たちも明るく生きてゆく」では、ともに耳の聞こえない藤田さん夫婦が、健聴者である娘ふたりを育てる日々が、妻の一人称で語られてゆきます。

●「特攻くずれ」は、17歳で特攻隊員になった木村さん、戦後20歳で郷里に戻るも、町の人からは冷たく「特攻くずれ」と呼ばれ、良い職にもなかなか就けません。そこで意を決し、資格を取って電気屋となり、新天地・大阪へ。電気のこと以外でも、路地裏の貧しい家々をまわり御用聞きをし、人に喜んでもらえる仕事をするうちに、あたたかい世間を感じるようになっていきます。

●「共かせぎ落第の記」には、30歳の機関士・川端新二さんと、26歳の妻・静江さんが登場。夜勤のある夫の新二さんが徹夜明けで帰ってくる家は、6畳ひと間きり。そんなとき静江さんはひとり図書館へ。ふたりの夢はもうひと間。「夢」は「みるだけ」に終らせたくないと必死に思いながら……。

花森は、人情の機微には敏感で、市井の人々の懐に飛び込むと、語るつもりのなかったことや、家計の事情、本音を巧みに引き出し、その人の日常茶飯にひそむ哀歓を見事にとらえました。
まるで、その人の人生を抱きかかえるように見つめ続けた「ある日本人の暮し」。家族を、仕事を愛し、あきらめずに希望をもって生きる人々の、人生の輝きを見つけることができます。いま読んでも、いや、いまだからこそ、いっそう心を打つ記録ばかりです。
ご紹介している本の中面写真の頁は、「共かせぎ落第の記」の夫婦の、
買いたいものをさわってみるだけ、映画も看板を見るだけ、の『「だけ」の休日』シーン。取材にはいつも2名の社員カメラマンが同行し、家族に張り付いたからこそおさえることができた、そんな何気ないけれど映画のような構図の写真も見どころです。
ぜひ、書店にてお手に取ってご覧ください。

外函のデザインに用いた木綿のコラージュ写真は、1965年刊行の『暮しの手帖』1世紀81号の表紙から。もちろん、花森安治によるものです。(担当:村上)

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※目次は下記のリンクよりご覧いただけます。
http://www.kurashi-no-techo.co.jp/books/b_1192.html


暮しの手帖社 今日の編集部