くよくよしたとて仕様が無い
――編集長より、最新号発売のご挨拶
こんにちは、北川です。
最新号は、もうご覧いただきましたか?
表紙の絵は、いわさきちひろさんの「朝顔と3人の子どもたち」。夏休みといえば、時間を忘れて遊んで真っ黒に日焼けしたなあ……昭和の子どもだった私は、そんなことを思い出すのですが、いまの子どもたちはどうでしょう。忙しいだろうし、こんなに猛暑では、外遊びは危険だしなあ。なんだか、切なくなるのです。
今号は、全部で13本の特集記事を編みました。明日から一つずつ担当者がご紹介しますが、ここでは私が担当した「香川をデザインした男 和田邦坊さんを訪ねて」について綴りたいと思います。
和田邦坊さん、ご存じですか?
香川の方も、とくに若い方は「和田邦坊??」と思われるかもしれません。ならば、社会科の教科書で「どうだ明るくなったろう」と百円札を燃やす「成金おじさん」の風刺漫画を見た記憶はありませんか? あれを描いたのが邦坊さんなのです。
1899年に香川県琴平町に生まれた邦坊さんは、若い頃は東京で新聞記者や時事漫画家として活躍し、手がけた小説『ウチの女房にゃ髭がある』が映画化されるなどして一世を風靡します。
しかしながら、締め切りに追われる暮らしで心身を病み、日中戦争が始まる頃、39歳で帰郷。ふるさとで絵でも教えながらのんびりと暮らすつもりが、戦後まもなく地元の和菓子店の主人から店のプロデュースを頼まれ、それが大成功すると、我も彼もと依頼する人びとがやってきて……と、香川のいろんな店を、そのコンセプトから丸ごとプロデュースし続ける、第二の人生が幕を開けたのです。
香川の方は、家にストックしてある紙袋を見てみてください。やんちゃな弁慶さんがはみ出さんばかりに描かれ、「名物かまど」とロゴが押された紙袋がありませんか? それも邦坊さんの仕事の一つです。
「名物かまど」のほか、お灸をかたどった「灸まん」や、「かんまん」の愛称で知られる「銘菓 観音寺(かんおんじ)」などなど。邦坊さんがプロデュースした和菓子屋さんは香川県内に数多あり、没後40年がたついまでも、邦坊さん作のロゴやパッケージを使い続けるお店がたくさん。
しかしながら、そもそも競合店どうしが同じプロデューサーに頼んで、問題はなかったのかしら? 邦坊さんって、どんな人柄で、どんな人生を歩んだのかな?
今回は、ゆかりのある店のご主人たちにお会いして、手元に大切に残してある作品を拝見しながら、じっくりとお話を伺いました。
旅の案内人をつとめてくださったのは、香川在住の画家、山口一郎さん。『暮しの手帖』の表紙画(第5世紀21号、29号)や2021年の目次画、付録カレンダーなどでおなじみですね。
そもそも、私が2年前に香川の善通寺図書館に講演に出向いたとき、山口さんが「邦坊さんっていいですよ。美術館に行ってみてください!」と強く推してくださったのでした。
ほとんど独学のはずの絵も達者なら、デザインもでき、洒脱なコピーも書けて、そのプロデュースの手腕から「先生、先生」と崇められた邦坊さん。なんだか完全無欠の人のようですが、弱さや挫折を感じさせるエピソードを語ってくださったのは、邦坊さんを研究する「灸まん美術館」学芸員の西谷美紀さんでした。
西谷さんが教えてくださり、私がじんときた邦坊さんの言葉(「おとぼけ人形」のしおりより)をご紹介します。
くよくよしたとて仕様が無い
何時かは実もなる花も咲く
移り気な浮世のならいに
取越苦労はおやめなさい
悩みなんぞはこちゃ知らぬ
いま何らかの「うまくいかないこと」を抱えていたとしても、くよくよせずに歩んでいたら、「何時かは実もなる花も咲く」。あっけらかんと明るく、ちょっと泥くさく、そしてどこかユーモアと可愛げのある邦坊さんの絵を観ていたら、この言葉がすーっと胸にしみ入るようでした。
もし、「こんぴらさん」こと金刀比羅宮にお参りする機会がありましたら、すぐ近くにある「灸まん美術館」にも足を運んでみてください。とくに「ギャラリートーク」のある日は、西谷さんによる見事な解説(もはや話芸!)が聞けて、おすすめです。
外をちょっと歩くだけでも汗が吹き出す、そんな暑さ厳しい毎日ですね。疲れたときは、『暮しの手帖』を開いて寝転んで、のんびりくつろいでいただけたらうれしいです。どうかご無理なさらず、心身をいたわってお過ごしください。
『暮しの手帖』編集長 北川史織