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お弁当のよろこびを再確認

『あゆみ食堂のお弁当』
『あゆみ食堂のお弁当』 大塩あゆ美 著
文化出版局 1,500円+税 装釘 装釘 TAKAIYAMA inc.

みんなにごはんを作って、ワイワイと食べることが大好きな、「あゆみ食堂」の大塩あゆ美さん。真っ直ぐな瞳がまぶしい、チャーミングな方です。あゆみさんの彩りゆたかなおいしいごはんを食べると、元気がむくむく湧いてきます。
そんなあゆみさんが「自分の大切なお弁当の記憶をたどろう」と始めたプロジェクトが1冊の本になりました。
「あなたがお弁当を作りたい人は誰ですか?」
と募集を始めると、その問いかけに全国から200通以上のお便りが集まりました。そのお便りへのお返事が、あゆみさんが考えた23コのお弁当です。
社会人1年生の娘へ、新幹線通勤する妻へ、部活に励む息子へ、育児を頑張る娘のパートナーへ……。23コのお弁当とともに、23通りの物語があります。相手を思う気持ちがやさしくてまぶしくて、思わず目頭が熱くなります。
誰かのためのお弁当は、やっぱり食べてくれる人のことを考えながら作るもの。でも、毎日作っていると大変すぎて、そんな気持ちも薄らいでしまいがち。この本のあたたかいエピソードを読むと、作り始めたころの気持ちなんかを、思い出せるかもしれません。
もちろんそれぞれのお弁当のレシピはどれも秀逸。お弁当をあけた瞬間の、うれしそうな笑顔が目に浮かびました。(小林)

素直なセンス オブ ワンダーを。

『日高敏隆 ネコの時間』
『日高敏隆 ネコの時間』 日高敏隆 著
平凡社 1400円+税 装釘 重実生哉

 タイトルはこうですが、いわゆる流行りのネコの本ではありません。
 日高敏隆(1930-2009年)は、動物行動学の第一人者。たしかに、ネコが好きで何匹も飼っていたし、ネコに関する著書もあり、この本のなかでも書いています。でも、あくまでこの本は、「自然の不思議」についての純朴な疑問や感動を端に発した考えや気づきを記した随筆集。この本に登場するのは、ネコやイヌをはじめ、チョウ、ホタル、セミなどの昆虫、ほかにもドジョウ、ヘビ、カタクリ、サクラなどの植物まで、とても多彩です。

 本書の「STANDARD BOOKS」というシリーズは、「科学と文学、双方を横断する知性を持つ科学者・作家」の作品を集めた選書だそうです。たしかにこの本も、科学と文学が織りなす魅力的な随筆が編まれた一冊です。

 ちょうどこの本を読んでいた昨年10月、小社の敷地に生えている山椒の木で、葉を食べていた青虫たちが、次々に蛹になっていました。ある日見かけた青虫が、2~3日後には蛹になっていて、越冬して春にはアゲハチョウになる。そのとき蛹の体内では、組織が、まったく別の生き物のように違ったものに、劇的に組み変わるプロセスが行われるのだそうです。羽化したら全く違った美しい姿です。まさに生き物の不思議です。

 春が近づくと、「サクラの蕾も膨らみ始めました」なんて、毎年テレビから聞こえてきます。でも、近所のサクラ並木から低く垂れた枝先を、毎日のように目にして歩いていると、11月、12月の寒空の下で、もう膨らみ始めている花芽を見ることができます。暖かくなったから膨らむのではなく、前年の夏から少しずつ少しずつ、長い時間を計りながら花は準備しているのだそうです。これにも感心します。

 チョウとガの違いは何か、なぜ同じ季節、同じ花に同じ種のチョウが集まるのか、なぜサクラは1年の決まった時季に花をきちんと咲かせるのか。
 そんな、自然に対する驚き、疑問、感心という「センス オブ ワンダー」の気持ちから、不思議を解き明かそうと、調べて思いを巡らせる日高さん。そして読者に、わかりやすい解説をやさしく語りかけてくれる。日高さんは第一人者である科学者ですが、自然に向かう気持ちはとても素直で、文章からロマンチストでもあるように思われます。それが日高さんの「科学と文学を横断する」文章の魅力に表れているのでしょう。

 感受性をはたらかさなければ、サクラの蕾も、チョウの蛹も、不思議を感じずに通り過ぎてしまうかもしれません。でも、素直な気持ちで自然の不思議に目を向けると、いろいろな面白いことが見えてくる。そんな楽しさを教えてくれる一冊です。(宇津木)

いきいきとした言葉と絵が魅力の新訳グリム童話

『グリムのむかしばなしⅠ・Ⅱ』
『グリムのむかしばなしⅠ・Ⅱ』
ワンダ・ガアグ 編・絵 松岡享子 訳
のら書店 各1600円+税 装釘 タカハシデザイン室

 「ヘンゼルとグレーテル」「シンデレラ」「ブレーメンの音楽隊」などの懐かしいグリム童話。漫画も含めて、いままでにたくさんの本が出版されています。本書は、昨年の秋、新しく松岡享子さんの翻訳で出版されたグリム童話集です。英語の原本『Tales from Grimm』は、絵本『100まんびきのねこ』などで知られる、アメリカの画家で絵本作家のワンダ・ガアグがドイツ語から英語に翻訳して、1936年に出版されました。

 過日、松岡さんのトークショーを聴く機会に恵まれました。

 そこでうかがったお話によると、グリム童話集は、もともとドイツのグリム兄弟が昔話を集めてまとめたものですが、19世紀中ごろに現在の形にまとまり、各国で翻訳されています。ガアグは両親ともボヘミアからアメリカに渡った移民で、親類も近くに住んでいました。幼いころに、叔父や叔母、祖父母の語る昔話を聞きながら育ち、苦学の末画家になり、絵本も制作するようになります。

 ガアグは、自分がなじんできたお話にくらべて、英文のグリム童話は堅苦しくて、想像力に欠けるものだと感じて、グリム童話16編を英訳し、挿絵を描いて『Tales from Grimm』を作りました。松岡さんが1961年に渡米した時には、ガアグは亡くなっていましたが、当時のアメリカでは、お話を覚えて語るストーリーテリングが盛んでした。この本は高く評価されていて、松岡さんもこの本を使って、ストーリーテリングをしたそうです。

 画家であるガアグの文章は、その場の情景が浮かぶ描写で、文章の調子がよく、語りかけるような口調で、自力で生きる女性が登場するなど、それまでのグリム童話とは違っていました。シンデレラだって、継母たちがお城に出掛けると、体を洗ったり髪をとかしたりと自分で身づくろいをしてから、妖精の力を借りるのです。

 絵はモノクロですが、怪しい森の奥にあるお菓子の家、忌まわしい魔女や幸せそうに眠る子供など、表情豊かに、物語の中へと誘いかけてきます。松岡さんの翻訳も、声に出して読みやすく、読んでいること自体が心地よくなります。

 原本は1冊でしたが、2冊に分けたのは、子どもが読みやすい字の大きさで、手に取りやすい厚さにしたいとの松岡さんの要望からだそうです。

 各巻に入っているお話です。
Ⅰ「ヘンゼルとグレーテル」「ねことねずみがいっしょにくらせば」「かえるの王子」「なまくらハインツ」「やせのリーゼル」「シンデレラ」「六人の家来」
Ⅱ「ブレーメンの音楽隊」「ラプンツェル」「三人兄弟」「つむと杼と縫い針」「なんでもわかる医者先生」「雪白とバラ紅」「かしこいエルシー」「竜とそのおばあさん」「漁師とおかみさん」(高野)

先入観に捉われないものづくり

水たまりの中を泳ぐ ポスタルコの問いかけから始まるものづくり
『水たまりの中を泳ぐ ポスタルコの問いかけから始まるものづくり』
マイク・エーブルソン、エーブルソン友理 著
誠文堂新光社 3,000円+税 装釘 エーブルソン友理

 私は、15年もの間、ポスタルコというブランドのカードケースを愛用している。丈夫であることはさることながら、とにかくストレスなく使えるのがうれしい。
指でケースの両端をつまむように力を入れると、口が開いてカードが出し入れしやすくなる仕掛けになっている。「両端からつまむように押す」なんて野暮なことは説明されていないし、そんなことすら考えなしに使っていた。
 だが、ある時、カードケースの構造をまじまじと見て、そう使うように導かれていたことに気がついた。正確に言うと、デザイナーのマイク・エーブルソンは、ヒトはカードケースをどのように握り、どのように使おうとするのかを知っていたのだ、ということに感心した。

 ポスタルコのステーショナリーやバッグ、レインウェアは、そんな不思議な気持ちにさせるものばかりだ。「こうなっていると使いやすいのに、なぜそうではないのだろうか」というこちらの気持ちを見透かしたように、「ありそうでなかったもの」がそろっている。
 彼らがいかにしてユニークなものを生み出しているのか。その思考の過程が、本書に詰まっている。

 彼らのユニークさを象徴するプロダクトの一つにトートバッグがある。
「バッグってなに?」
「どうしてヒトはモノを運ぶんだろう?」
「バッグがなかった時、
ヒトはどうやってモノを運んだのかな?」
きっとそんな「問いかけ」から始まり、橋梁の構造にヒントを得たタフで軽々とモノが持ち運べるバッグが生まれたのだそう。

 彼らはものづくりの過程で、「問いかけ」をもっとも大切にしている。マイク・エーブルソンは、そのことを次のように話す。
「たぶん、じぶんの固定観念を壊したいんだと思う。少しずつ、少しずつ、視野を広げて、こうだと決めてかかっていた思い込みを、ほぐすようにしているんだ。(略)あるものに対して抱いている先入観を捨てていくと、じぶんが知らなかったことが見えてくる」
 文化人類学的ものづくりとでも呼ぶべきか、つくるべきものに問いを重ね、ヒトやモノを観察し、何度も何度も試作を重ねて、答えに辿り着く。

 本書は、15の問いからポスタルコが辿った17年を振り返る。読み進めるうちにポスタルコの輪郭がクッキリと浮かび上がる。だが同時に、彼らはデザイナー? 文化人類学者? はたまた哲学者? ポスタルコとは何者か? という、新たな問いが頭の中に浮かぶ。(矢野)

今がいちばん若いんだぞ

自転車ぎこぎこ
『自転車ぎこぎこ』 伊藤礼 著
平凡社 1,600円+税 装釘 石澤由美

 もう10年以上前だったでしょうか、久しぶりに会った大学の同級生が私に言いました。
「ねえ、あの伊藤センセイが、『こぐこぐ自転車』とかいうエッセイを出して、それがなかなか人気なんだって」
「うそでしょ? 同姓同名の人なんじゃないの?」と私。
伊藤センセイこと伊藤礼さんは英米文学の教授で、私が学生の頃は60代後半くらい。長らく肝臓病を患っていたとのことで、顔色はお世辞にもよいとは言えず、お書きになるエッセイは、どこか冷めたユーモアとペーソスがあって。自転車だなんて、似合わないなあ。
半信半疑でその本を読んだら、まあ、面白いこと。退官も目前となったある日、「大学まで自転車で行ってみようか」と思い立ったセンセイ。ところが2キロも行かないうちに、足腰の筋肉は力を失い、お尻には激痛を感じ、休み休み、何とか12キロ先の大学にたどり着いたときは、目のまわりにクマができていた……。
しかし、以来すっかり自転車にはまったセンセイは、あちこち走り回るうちに、一日60キロを走れるまでになるのです。
この『自転車ぎこぎこ』は、その続編。折りたたみ自転車を電車に積み込む、いわゆる「輪行」で旅する仲間も数人でき、センセイは西へ東へ軽やかに、古希を過ぎた肉体を走らせます。からだ全体に風を感じながら、思わぬハプニングも愉快がりながら。
 「こんなに出かけるのは年をとっているから、まもなく確実に死ぬと思うからだ。生きていてもヨボヨボになってしまう。今を逃したら自転車に跨れなくなるからである。私は友人たちに今がいちばん若いんだぞと声をかける。そしてすこしでも若い今のうちに、行けるだけ行こうと誘う」
 人生は、楽しんだが勝ちなんだなあ。幾つになっても、その楽しみのタネを見つけられたら、すてきです。(北川)

戦後から現在、街の移り変わりを写す

富岡畦草・記録の目シリーズ『変貌する都市の記録』
富岡畦草・記録の目シリーズ『変貌する都市の記録』
富岡畦草・富岡三智子・鵜澤碧美 著・写真 白揚社
2,500円+税 装釘 岩崎寿文

 「昭和20年8月15日、第二次世界大戦決着。25日、私は所属していた谷田部海軍航空隊解散復員に伴い常磐線土浦駅から超満員列車に乗って東京駅へと向かいました。このとき東京駅へ近付くにつれ、街は無残な被害状況で、痛恨の極まり、多くの犠牲戦友への弔いも合わせ、この真実を歴史に残す必要性を痛感しました」(まえがきより)
 写真家の富岡畦草(けいそう)さんは、記録写真を撮り始めた動機をこう書いています。海軍航空隊で特攻隊の志願兵として終戦を迎えた畦草さんには、敗戦時の街の姿と、復興していくに違いないこれからの街の姿を写していくことが、とても大切なことだと思えたのでしょう。以来、約70年にわたって、東京の各地の街頭を撮り続けてきました。
 それも、移り変わりが分かりやすい「定点撮影」の手法を用いて。本に収められている撮影場所は、都内を中心に66地点。多くは、見開きのページに昭和30年代前後、昭和後期か平成初期、平成28~29年のものと、3つの時代の写真がレイアウトされています。
 たとえば「東京駅・丸の内中央口」は、昭和34年と50年、平成28年の3点。駅をセンターにとらえた3つの写真からは、周囲のビルが建て替えられていく様子が見てとれるのもさることながら、どれも駅前のどこかが工事中だという事が分かります。
 「東京タワー」は、昭和33年と平成29年の2点。しかも1枚目のタワーは、完成の三月半ほど前で、先頭部分が未完成の写真です。足元には、古びた木造平屋の大衆酒場と何かの商店、その奥遠くに見える煙突は、銭湯かもしれません。写真の解説には、タワーの資材に米軍戦車のスクラップが使われていることが触れられ「希望の象徴となった東京タワーは、敗戦の傷を乗り越えようと奮闘した国民の覚悟の象徴でもある」との一文が。
 この記録集は、戦後、日本がどのように復興してきたのかを考えるきっかけとなり、記憶のよすがともなるでしょう。また、考えを深めるのは後回しにして、昔の街並みや看板広告、人々のファッション、道を走る車やバイクの車種に注目するのも面白そうです。
 そして、この記録写真には、畦草さんと娘の三智子さん、孫娘の鵜澤碧美(うざわたまみ)さんの三代にわたって撮り続けられているという稀有な特長があります。親子代々の意志の連なりに、ただ敬服するばかりです。(菅原)

夜空を見上げたくなる、物語の数々

写真で見る 星と伝説 秋と冬の星
『写真で見る 星と伝説 秋と冬の星』野尻抱影 文 八板康麿 写真
偕成社 1,600円+税 装釘 三上祥子(Vaa)

 太古より、人々は夜空を見上げ、輝く星々を神や動物に見立て、さまざまな物語を紡いできました。ギリシャはもちろん、中国や日本でも。
本書は、秋と冬の星座にまつわる世界各地の伝説と、美しい星空の写真を掲載しています。底本となっているのは、野尻抱影の名著『星と伝説』。秋はペガスス座やペルセウス座、冬はおうし座やりゅうこつ座など、それらの星座にまつわる9編のお話が収められており、たっぷりのカラー挿絵が入っています。
例えば、オリオン座。四角形を描く星のなかに、並ぶ三つ星。おそらく、みなさんもご覧になったことがあるかと思います。
 ギリシャではオリオン座は、太い棍棒を持って野山の獣を狩る勇者の姿とされました。勇者オリオンは、月と狩りの女神アルテーミスと恋仲になるのですが、彼女の兄、日の神アポローンによって悲劇の死を迎え、やがて星になったのだとか。
 ところ変わってアイヌの人たちは、オリオン座の三つ星をイウタニ(米を搗く杵)と呼び、これは働き者の三人の若者が星になったもの。こんなふうに同じ星座でも、それぞれの時代に、それぞれの場所で、違った伝説が生まれたことがわかります。
 ほかにも、多情の大神ゼウスに、夫の浮気を怪しむ妃ヘーラ。娘のアンドロメダを溺愛する、親ばかの母・カシオペヤ。物語のおもしろさもさることながら、「人間くささ」や「戒め」は、時代を超えて、人類の不変のテーマなのかしら、と思ったり。
 解説によると、地球からアンドロメダ銀河までの距離は230万光年。私たちがいま見ているのは、230万年前に放たれた光なのです。そして「アンドロメダ銀河は数十億年後に、われわれがいる銀河と合体すると考えられて」いるそうです。悠遠のかなたに広がる銀河と、それを見るちっぽけな私。
 オリオン座の隣はおうし座で、その下にあるのはエリダヌス座……。当初はのっぺりと見えていた星の写真が、読み進めるほどに、時間と空間の厚みをもって、眼前に迫ってくるように感じられました。
 本書では、それぞれの星の解説や見つけ方、コラムなども充実しています。これからの季節、ますます夜空を見上げたくなる一冊です。(圓田)

ことばにならないおもい

詩集 見えない涙
『詩集 見えない涙』 若松英輔 著
亜紀書房 1,800円+税 装釘 名久井直子

 みなさんはどんな時に詩集を手にするでしょうか。『見えない涙』の著者・若松英輔さんはご自身が厄年を迎えるまで、本当の意味で詩に触れていなかったと、あとがきに書いています。
詩は黙読するより、朗読を聴くのが好きな私は、やはり自分で読む時も声に出します。おそらく、そうするたびに新しい感情と新しいことばに出会うからかもしれません。
 とても美しい、愛らしい、嬉しい、あるいは、すごく淋しい、哀しい、恐ろしいというような感情は、日々の暮らしの中で度々沸き起こってくるのですが、いざ、その気持ちを人に伝えようとすると、ことばにならないもどかしさを感じることがあります。
 目前で大きな感銘を受ける出来事が起きたとして、一方で、自分のことばがつたなすぎて言語化できず、心拍数だけが、ただただ上がり気味という始末。そんな感情だけが体のどこかに宿っていて、たまたま開い頁の詩の一行に、そのすべてが表れていると、はっとして、ことばと気持ちの整理がつきます。
 
人が
 何かを語るのは
 伝えたいことがあるからではなく
 伝えきれないことがあるからだ
 言葉とは
 言葉たり得ないものの
 顕(あら)われなのである
 だからこそ
 語り得ないことで
 満たされたときに
 人は
 言葉との関係を
 もっとも
 深める
 (「風の電話」から一部抜粋)

 「燈火」「記念日」「薬草」「詩人」「読めない本」「仕事」「見えないこよみ」「青い花」ほか全26編が収められた若松さん初の詩集は、まるで私たちに贈る魂の声のように響いてきます。一粒一粒のことばに、人が涙する時の輝きと曇りを秘めて……。
 詩の清楚な空気感と息を合わせたような装釘は、名久井直子さんによるものです。(上野)

考えることで、豊かに広がる

京都で考えた
『京都で考えた』 吉田篤弘 著 ミシマ社
1,500円+税 装釘 クラフト・エヴィング商會

 著者の吉田篤弘さんは、吉田浩美さんとともに「クラフト・エヴィング商會」としても、執筆やデザインなどをされている方。小誌でもかつて、「それからはスープのことばかり考えて暮らした」という、とてもすてきな小説を連載されていたので、ご存知の方も多いかもしれません。

 「『本当のこと』は面倒な手続きの先にしかなく、手っ取り早く済ませようとしたら、決して『本当のこと』はあらわれない」

 この本のなかで吉田さんは言います。いまは、知らないことや疑問があったら、インターネットでサクッと「答え」を知ることができます。でも、「答え」を知ってしまったら、もうあれこれ考えることはしない。この「あれこれ」がアイデアの元になるのに、その機会を逸してしまうことになると。面倒でも、自分で考える。そうしてしか得られない「本当のこと」を探すのです。そして、吉田さんにとって考える場は、京都です。
 京都って、たしかに多くの来訪者にとって、特別な場所かもしれません。単なる観光地ではない。鴨川が流れ、碁盤の目に整備された古い街。吉田さんは、古本屋や古レコード屋、古道具屋、喫茶店や洋食屋を訪れます。もちろん、直接的に本やレコードを探すためだけではない。そこで目にした古本の背表紙や古いレコードから、思考が始まり、思索のストーリーが繰り広げられる。創作のアイデアができるのです。百万遍や紫野、イノダコーヒー三条支店、大徳寺の松風など、ご自身が実際に訪れた場所を挙げながら、何を考え、その思考がどう広がっていったかをつまびらかにしていきます。そして、それらは、川の水が流れるようにスムーズにつながり、一冊として形をなしていきます。ちなみに、この本の見出しと目次のあり方はとてもユニークで、おもしろいアイデアが機能しています。街角には地名が表示されておらず、目次が地図になっている、といったイメージでしょうか。それもお楽しみにしてください。たしかに、流れるように読めるのです。

 物事をきちんと考えること、深く思考することって、得意な人と不得意な人がいると思います。頭の中を整理して、答えを追い詰めていくような作業は、けっこう骨の折れる仕事だったりします。正直私は、それほど得意ではありません。途中で、とっ散らかってしまうことしばしば。でも、吉田さんは、とても整理された思考を進めていきます。そして、「本当にそうか?」と、当たり前と決めつけられた答えや分かりやすい答えには飛びつかず、考えを進め、広げていきます。
 考えを広げるということは、ひとつの答えに縛られないということ。すなわち、自分の気持ちに自由な幅をもたらしてくれることでしょう。思考や想像の世界って、限りなく広いわけですから。
 この本に書かれているのは、そうして得られる豊かな想像の世界。それは、とても楽しい思考のプロセスです。そして、整然としながらやさしく語り掛けるような、吉田さんの書く作品がすてきな理由が垣間見られるのです。巻末には、うれしいおまけのように本編とつながる掌編小説もあります。(宇津木)

その情熱は伝播する

バッタを倒しにアフリカへ
『バッタを倒しにアフリカへ』 前野 ウルド 浩太郎 著
光文社 920円+税 装釘 アラン・チャン

 著者の前野 ウルド 浩太郎さんは、幼い頃に読んだ『ファーブル昆虫記』に魅せられ、自らも昆虫博士になるべく、虫の道に足を踏み入れた青年です。1980年生まれ、今年で37歳。「青年」と呼ぶにはちょっと年嵩過ぎるかもしれませんが、そう呼びたくなるくらい、若々しい情熱に溢れているのです。
 虫の研究をして博士号をとったはいいけれど、就職先にあぶれ、しかしこの道で生きる夢を捨てられずにいた前野さん。なにがしか、大きな研究成果を出して活路を見出そうと、2011年に単身、アフリカはモーリタニアに向かいます。前野さんが専門とするのはバッタ。かの地ではバッタが大量発生して農作物に深刻な被害をもたらしており、その対策を研究の対象にしようと考えたのです。
 慣れない土地、知らない言語、次々に出合うカルチャーショック。日々のハプニングを、やけくそのような明るさとユーモアで乗り越えてゆく前野さんですが、時には、将来(と目減りしていく研究資金)の不安が頭をもたげ、ホームシックになって心ふさぐこともあります。おまけに、モーリタニアに渡ったその年は、なんと、例を見ないくらいにバッタが不漁(?)の年であり、研究対象にも事欠く事態に陥って……。
 本書を読みながら、私は、2016年にノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅良典さんの言葉を思い出していました。「『役に立つ』という言葉はとても社会をダメにしていると思っています」。これは、事業化を研究の第一目的としていては、学問がやせ細ってしまう、と懸念して仰った言葉です。
 果たして、前野さんはどうでしょう。将来のために成果を上げねばという野心こそあれど、「バッタが好きだ」「バッタについて知りたい」と燃えるその探究心はどこまでも純粋で、むしろ心配になってしまうほど。好きなものを求めて、猛進していく人の姿は、傍目にも面白い! その情熱は読む者にもいつしか伝播し、不思議な感動が湧いてくるのです。(島崎)

次の皆既月食は来年1月31日

月の満ちかけ絵本
『月の満ちかけ絵本』 大枝史郎 文 佐藤みき 絵
あすなろ書房 1,200円+税 装釘 梶原浩介(Noah’s Books, Inc.)

 東日本大震災の影響で計画停電や節電があったころ、暗い街の夜空で、明るくあたりを照らしてくれた満月の頼もしさ、ありがたさが忘れられません。それ以来、毎日使う手帳は月の満ち欠けのしるしがついたものにしています。

 家路をたどる坂道で夜空を見上げると、まいにち月の形と位置が変わっています。満月はあそこに見えたのに、半月は違うな。ぼんやりとそう思ってはいましたが、どうしてなのか、深く考えることもなく過ごしていました。

 私が担当している本誌連載頁、細谷亮太先生の「いつもいいことさがし」のテーマが、91号では「一年を和風月名で」と、旧暦についてのお話だったこともあり、月の満ち欠けについても知りたくなりました。

 児童図書のコーナーにあった本書は、「親子で学べるユニークな『月観察』絵本」と謳っており、ていねいにわかりやすく、月の満ち欠けを説明しています。本文の始めに、太陽と地球と月の関係の図があり、「月の見えない新月から、三日月、半円の月、満月になり、欠けていって、もとの新月にもどるまで約29.5日かかる」ことが説明され、なるほどと思いました。

 次の頁から新月、二日月、三日月、上弦の月……と、月の形が変わるごとに見開きで説明があり、太陽と月と地球の位置によって月の形と昇る方角が移っていくのがわかります。

 月の名前の由来についても説明があり、いままで覚えられなかった、上弦の月と下弦の月のことが、やっとわかりました。上弦の月は、満月までの途中に現れる右側半分の半月で、太陽が沈むと南の空に浮かび、船のように下がカーブした形で夜中に沈む。そのときに弓の弦(つる)が上にある形だから「上弦」の月。下弦の月は、満月から欠けていく半月で、夜中に出てきて、太陽が昇るころには南の空にあって消えていく、左側半分の月。沈むときには弦が下になるから「下弦」の月。一晩中見える月は満月だけなのも図から納得できます。昔の日本人が、満月に限らず、それぞれの月に意味を持たせて親しんできたことも書かれていて、お月様がもっと好きになりました。

 巻末には、「月と宇宙の豆知識」として、潮の満ち引きや日食と月食についての解説もあります。それによると次の皆既月食は2018年1月31日。日本全国で見られるそうです。皆既月食までに、この本を購入して、親子で話してみるのもいいでしょう。もちろん、私のように大人が読んでも充分面白いですよ。(高野)

子どもから生まれる、みずみずしい言葉たち

ことばのしっぽ
『ことばのしっぽ』 読売新聞生活部 監修
中央公論新社 1,400円+税 装釘 中央公論新社デザイン室 

 れ
「ママ 
 ここに
 カンガルーがいるよ」
 これは、3歳の男の子がつぶやいた言葉を母親が書きとめ、読売新聞家庭面の「こどもの詩」というコーナーに投稿したものです。「れ」という平仮名がカンガルーに見えるなんて! 子どもの自由な発想に驚くとともに、その発見を母親に一生懸命伝えるあどけない姿が浮かび、ほほえましく感じます。
 今年で50年を迎えた「こどもの詩」。この本は、これまでに掲載された詩のなかから200編をより抜き、まとめたものです。

かさ
「(お店やさんごっこをしていて)
 これ(かさ)は
 あめのおとが
 よくきこえる きかいです」

ふとん
「おかあさん
 ぼくタイムマシンで
 あしたにいくからね
 じゃあ
 おやすみなさい」

すみっこ
「すみっこにいました
 すみっこでまるくなっていました
 こころがゆっくりなるのです
 これからもすみっこにいたいです
 すみっこはやっぱりおちつきます」

新しいせかい
「ママは 何分がすき
 ゆうかはね 59分がすき
 新しいせかいが
 はじまりそうな気がするの」

 子どもたちが日々の暮らしで発見したこと。楽しい気持ち、寂しい気持ち。いろいろな気持ちがそれぞれの詩に詰まっていて、子どもの目には、世界はこんなふうに映っているんだ……と気づかされます。
 大きくなるにつれ、こんなふうにまっすぐな気持ちを言葉にすることは、難しくなるかもしれません。でもできる限り、このきらきらした感性を持ち続けていられるような世の中にしてあげたい。そして、子どもたちから生まれるみずみずしい言葉をすくいとる、あたたかな眼差しをもっていたい。この本を読んで、切に思いました。(井田)


暮しの手帖社 今日の編集部