『おらおらでひとりいぐも』 若竹千佐子 著
河出書房新社 1,200円+税 装釘 鈴木成一デザイン室
今年の芥川龍之介賞を受賞した作品として話題を呼び、この本をすでに手にとった方も多いことと思います。日頃、そういった受賞作に疎い私ですが、著者の若竹千佐子さんが遠野出身の主婦と伺い、「いま、読みたい」と心が騒ぎました。かねてから、私は、馬と暮らしたくて遠野に移住した一家と親交があり、お訪ねした時の土地の情景が浮かんできて急に懐かしくなったのです。
物語は長年住み慣れた新興住宅の一室でひとり、お茶をすする女性、桃子さんの自問自答からはじまります。
「あいやぁ、おらの頭(あだま)このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが
どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如(なんじょ)にすべがぁ」
桃子さんの身体の内側から湧き上がってくるような東北弁。濁音や抑揚がおもしろいほど読み手の感情を揺さぶります。桃子さんの髪形、服装、すする茶碗の柄、テーブル、室内の様子がひとり歩きして、書かれている以上にイメージがどんどん浮かんできます。
結婚を間近に控えた24歳の彼女は、故郷に失望し、身ひとつで東京へ飛び出し、やがて、夫となる周造と出会い、結婚。ふたりの子どもを育て上げます。そして、夫の死を経験するのです。捨てた故郷、疎遠になった子どもたち、ひとりぼっちになった桃子さんの喪失感が痛く心に響いてきます。桃子さんの身体の内側に存在する無数の「柔毛突起」が、まるで別の生き物のように宿って「ああでもない、こうでもない」と、哀しみに対峙している描写はとてもユニークな世界です。柔毛突起は肉体と直結していて、それを束ねている彼女の正体は、桃子さん自身ですし、吐き出す言葉のすべても、対話している相手も桃子さんに他ならないのですから……。
自分の内側にいる自身とのせめぎ合いって、気がつけば私たちもよく体感していませんか? そして、その時々の様々な感情の起伏をなかなかうまく排出できずに通り過ぎてはしまっていないでしょうか。私は、そんな問いを自身にしているうちに、あれあれ、なんだか桃子さんになってしまったように思えてくるのです。
孤独のトンネルの中、自問自答を繰り返し歩き続けた桃子さんが、ようやく辿りついた先は……。
そのきっかけは、ひとりで訪ねて来た孫のあまりに日常的な呼びかけであったと、私は思っています。孫が「おばあちゃん、窓開けるね」と呼びかけた直後、春を迎えようとする外気が室内に入り、すっと桃子さんの心の扉も開いた。私はその瞬間に生きることの自由が象徴されているように感じました。
気づかぬうちに閉ざしかけていた私の内心の扉が、若竹さん固有の言葉の力によって放たれ、爽快感が広がる一瞬となりました。(上野)