別冊 花森安治「早世した母と、日本の女性たちへの思い」

2016年07月13日

DSC_00280713
左の写真は、1951年のファッション記事「はやりすたりのないオーバア」より。モデルは大橋鎭子。右の写真は東京・佃島での撮影風景で、中央には長髪の花森安治が写る。花森は女性の装いに、凜としたスタイルを求めた

戦後間もない1945年の秋。大橋鎭子は花森安治に、こう相談を持ちかけます。
「自分と同じように、戦争中、満足に学べなかった女性がいます。そんな女性たちが読んで役立つ本を作りたい。苦労をかけた母を養うためにも、事業を起こしたいのです」
花森は、「君の親孝行を手伝ってあげよう」と即答。いったい、何に心を動かされたのでしょうか。
1911年、モダンな開港都市・神戸に生まれた花森。貿易商だった父は遊び人で、花森が幼い時分に家を没落させ、代わって母が昼夜問わず働き、5人の子を育て上げました。
その母が病のために亡くなったのは、花森18歳のときのこと。花森は人知れず泣きに泣き、胸にはこんな言葉が去来したといいます。

「今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である」

そう、かの有名な、平塚らいてうの宣言です。
「親孝行を手伝ってあげよう」という言葉の裏には、自らの母への思いはもちろんのこと、母のように自分を犠牲にして生きる、たくさんの日本の女性たちに寄せる思いがあったのでしょうか。
誰に媚びることなく、自立して、強く美しく生きる。
花森が『暮しの手帖』でくり返し描き出したのは、戦後の日本を颯爽と拓いてゆく、新しい女性像でした。(担当:北川)

別冊『「暮しの手帖」初代編集長 花森安治』の目次はこちらからご覧ください。


暮しの手帖社 今日の編集部