『暮しの手帖』の初代編集長として30年間指揮を執り、世に「カリスマ編集長」と呼ばれた、花森安治の軌跡がわかるビジュアルブックです。
名企画「商品テスト」をはじめ、『暮しの手帖』を100万部近い販売数へと押し上げた仕事。表紙画、挿画、レイアウト、一冊の隅々まで手掛けていた、類い稀なる芸術的才能。生い立ち、「スカートを穿いた花森」伝説の真相、元部員が知る逸話、『暮しの手帖』に込めたメッセージなどを紹介し、その実像に迫ります。命の灯が消えるまでペンを持ち、「編集者」であり続けたその生涯を、秘蔵写真満載でお伝えしています。
[目次]
『暮しの手帖』の初代編集長
花森安治は、こんな人でした
一章 仕事 この国の暮らしを変えるために
大橋鎭子との出会いと約束
おしゃれは明日の世界を作る力
わたしたちの夢の住まい
おかずの学校
家じゅうみんなで遊ぼう
商品テストは命がけだ
ある日本人の暮し
戦争中の暮しの記録を募ります
二章 美学 手からつくられるものの美しさ
表紙
装釘
誌面デザイン
広告
挿画
コラム:穂村弘さんが選ぶ、花森安治の言葉
三章 横顔 人間・花森安治
編集者になるんや
花森の好きなもの
花森のファッション
愉快、痛快、花森学校
コラム:文章教室
四章 遺言 ぼくには一本のペンがある
ぼくらこんどは後へひかない
父・花森安治とのこと 土井藍生
藤城清治さんが綴る、花森安治の思い出
年表 花森安治と『暮しの手帖』の歩み
編集者の手帖
[花森安治について]
はなもり やすじ
1911年神戸市生まれ。
旧制松江高校、東京帝国大学卒業。
召集され、2年従軍するも、戦地で結核になり帰国。療養生活の後除隊。大政翼賛会宣伝部につとめる。
終戦後、1946年大橋鎭子らと衣裳研究所を設立。『スタイルブック』を創刊。
1948年9月に『美しい暮しの手帖』を創刊社名を暮しの手帖社とした。
以後『暮しの手帖』を中心に、編集者、ジャーナリスト、イラストレーター、デザイナーとして活躍。
1978年心筋梗塞のため死去 享年66。