誰かの言葉が力になる

2022年09月24日

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誰かの言葉が力になる
――編集長より、最新号発売のご挨拶

「列島を台風が駆け抜けると、トランプを裏返すように秋になりましたね」
つい先日、そんなふうに始まるメールをいただき、ひんやりとした空気を胸いっぱいに吸い込みました。お元気でお過ごしでしょうか。台風による被害に遭われた方にお見舞いを申し上げます。もとの暮らしが早く取り戻されますように。
夏の思い出といえば、7月末に香川県の善通寺図書館にお招きいただき、「暮しの手帖のつくりかた」と題した講演を行いました。およそ100名の方たちを前に、『暮しの手帖』の創刊の理念から現在の制作の様子まで話をさせていただいたのですが、こんなとき、「もっと話がうまかったらなあ」としみじみ思います。いや、ただ「うまい」というより、声に自分の感情がにじみ出て、相手の胸に流れ込むように話せたらいいのに、と。思い出したのは、今号の不定期連載「わたしの手帖」で取材にお伺いした、アナウンサーの山根基世さんの言葉です。
〈声には必ず、心がくっついています。
いつどんな瞬間に言葉を発しても、
人を傷つけない、下品にならない自分をつくることが、
アナウンサーの最終目標なのね〉
私たちの声は内面を映し出すものであり、「話す」とは人格をさらすことだと山根さんはおっしゃいます。「ついうっかり」発した言葉は、じつは心の奥底で考えていたことなのかもしれない。
そうした視点で、ふだんの会議や打ち合わせ、はたまた国会中継まで、「声」にじっと耳を傾けてみると、けっこういろんなことがわかるような気がしました。声に、言葉に、力がほしい。その場をごまかすとか、誰かを論破して打ち負かすとか、そうした力ではなくて、うわべではない「心」が伝わるような話し方がもっとできたなら、この世界は少しずつでも変わっていくのかもしれないな。そう感じています。

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さて、この「わたしの手帖」は、私が編集長を引き継いだ4号から始めた不定期連載ですが、裏テーマ(?)の一つは「人生の先輩の話を聞きに行く」です。自分たちよりやや年下の方のもとへ伺うこともありますが、人生の迷いや挫折、日々のちょっとした、でも確かな喜びや幸せなどを、格好つけずに話してくださる方たちに取材を受けていただいてきました。
山根さんには、放送人としてのこころざしが磨かれたいくつかの転機をお聞かせいただき、なかでも印象深かったのは、25年ほど前にNHKのドキュメンタリー番組『映像の世紀』のナレーションをされたときのお話です。当時、40代半ばを過ぎていた山根さんは、女性特有の体調不良もあり、十分な声が出ずにいましたが、「これを伝えるのが使命だ」という強い思いが「声」となったといいます。
考えてみれば、私は当時の山根さんとほぼ同年齢で、この一年ばかりは、これまでにない不調に悩まされてきました。若いときよりは少しばかり仕事の経験値が上がっているので、なんとかしのいでいますが、「いったいいつまで続けられるかなあ」などと弱気になることもあります。女性のなかには、頷いてくださる方もいらっしゃるかもしれませんね。
しかしながら、山根さんのお話、「仕事は自分のためではなく、ある〈こころざし〉のために」を聞いたとき、胸にさっと光が差し込むような気がしました。「自分のために」だけでは力が出なくても、私も出版人の一人として、まだできること、やるべきことがあるんじゃないかな……と思えたのです。
ある人が思いを込めて話してくださった言葉は、きっと誰かの力になる。そう信じて、毎号、一つひとつの記事を編んでいます。今号のそのほかの読み物の特集は、お菓子のパッケージなどでおなじみの画家の生きざまを紹介する「鈴木信太郎とその仕事」、9名の方たちがとっておきについて綴る「日記本のすすめ」、画家の牧野伊三夫さんの「銭湯、酒場、ときどきカレー 描きたくなる旅 富山編」と、どれも読みごたえたっぷりです。秋ならではの滋味深いおいしさの料理もご紹介しておりますので、どうぞお試しください。心をうるおし、身体をほっと休めながら、よき日々を過ごせますように。

『暮しの手帖』編集長 北川史織


暮しの手帖社 今日の編集部