未来の子どもたち
(19号「戦争を語り継ぐために」)
取材の下調べで資料を読んでいた時、一組の写真が目に入って、頁を繰る手を止めました。横一列に並んだ裸の幼児たちを、前と後ろから写したものです。どの子もあばら骨が浮き出て、お尻の肉はげっそりと削げ落ち、腹水がたまっているのか、お腹だけが異様に出ています。写真のキャプションには、「戦争孤児の子どもたち」とありました。
私は自分の2歳の子のことを思いました。この年頃の子どもの体は、どこもかしこもぷっくりとしているものです。写真に写る子らのあまりに痛ましい姿から、しばらく目を離すことができませんでした。
数日後、本企画のため、私はある方のご自宅にお邪魔しました。お訪ねしたのは、金田茉莉さん。1945年3月10日にあった東京大空襲で、親姉妹を亡くし、戦争孤児として生きてこられた方です。当時9歳。空襲があったその日に学童疎開先から戻り、自宅のあった浅草一帯が焦土となったことを知りました。
亡くなったご家族への思いや、身を寄せた親族宅で味わった肩身の狭さ、社会に出てから受けた差別、国の無責任さなど、金田さんは初対面の私にたくさんのことをお話くださり、最後に「戦争の悲惨さを伝えることで、未来の子どもたちを守ってください」とおっしゃいました。
この「未来の子どもたち」という言葉については、その後、記事を校正する段階で、「『子どもたちの未来』とする?」と指摘が入りました。私は「なるほど、確かにそのほうが文意が通るかも」と納得しつつ、けれど、金田さんの発した言葉をそのまま残したいと思いました。
「過去、守られなかった子どもたちがいた」
「未来の子どもたちを守って」という言葉には、そういう意味も込められていると思ったからです。
戦争で奪われた子どもたちの命、生き残った子が失った子ども時代は二度と戻ることはありません。私たちがどんなに思いを致し、心を寄せても、過去の子どもたちは救えない。守れるのは、今、そして未来の子どもたちだけなのです。
記事では、金田さんのインタビューのほか、自らを「軍国少年だった」と振り返る昔話研究家の小澤俊夫さんの戦争体験談を掲載し、また、憲法や天皇制、民主主義に詳しい作家の高橋源一郎さんに、「戦争を語り継ぐこと」の難しさと可能性について、お話をお伺いしています。
戦争を体験した人がいよいよ少なくなる今、残された私たちがどのようにその記憶を継いでいけるかが問われています。この記事を通して、みなさまと一緒に考えられたらと願っています。どうぞご感想をお寄せください。(担当:島崎)