いまもいつかは思い出になる
――編集長より、最新号発売のご挨拶
ここ東京では、あちこちで桜が花開く様子が見られるようになりました。ああ、いよいよ春がやってきたのだなあとうれしくなり、木々を見上げながら散歩するのが小さな楽しみになっています。いかがお過ごしでしょうか。
今号の表紙画は、フランスの画家、ポール・コックスさんによる「ずっと」。世界がコロナ禍に見舞われて2年が過ぎ、鬱々とした気持ちになりがちなときだからこそ、「ぶらっと散歩に出て、心を解放させよう」というテーマで絵を描いていただけないかとお願いしました。
やがて届いた絵には、手をつなぐ二人と、続いていく道。ポールさんが寄せてくださった言葉より、一部をご紹介します。
「愛する人との散歩を想い、ぼくはこれを描きました。絵の中の二人は、道の向こうに広がる世界を探検にいくのか、それとも家に戻るところなのか。そのどちらとも言えるでしょう。この穏やかな循環がずっとつづくことを祈って、この絵を贈ります」
二人の手が描く「M」の文字にも、さまざまな意味が込められていますが、それは「今号の表紙画」の頁をじっくりお読みいただけたらうれしいです。
表紙の右端には、毎号たいていは巻頭記事のタイトルをキャッチコピーとして立てています。今号は「いまもいつかは思い出になる」。ふるさとの家族と長らく会えずにいたり、家庭や職場で以前とは異なる苦労があったりと、誰もが少なからず苦しみを抱きながら暮らしているいま、小さくとも、胸に灯りをともすような言葉を掲げられたらと思いました。
この記事で取材したのは、エッセイストの吉本由美さん。ふるさとの熊本市から高校卒業後に上京し、セツ・モードセミナーで学んだり、映画雑誌『スクリーン』の編集者となったり、インテリアスタイリストの草分けとして活躍したり。東京で40年余り、つねに心の赴くまま、「行き当たりばったり」に暮らしてきたという吉本さんは、11年前、両親の介護をきっかけに熊本に戻ることを決めます。
2日間にわたる取材では、ふるさとと言えども様変わりしている熊本で、どんなふうに友人をつくり、楽しみを見つけて暮らしていらっしゃるのか……といったお話をお伺いしました。そんな話題のなかで、吉本さんがふと漏らした「人生は懐古趣味がいいのよ。思い出すって、楽しいことだから」という言葉に、はっとしたのです。
「懐古趣味」というと、なんだか後ろ向きにも思えますが、私たちはおそらく、過去の小さな出来事を胸に反芻させて温かな気持ちになったり、誰かがかけてくれた言葉を励みにしたりして、「いま」を懸命に生きているのではないでしょうか。そして、そんな「いま」も、いつかは思い出になる。思い出すことが、人生の楽しみであり、喜びであるというのは、年齢を重ねるごとに実感することなのかもしれません。
今号は「ふるさと」をキーワードにした記事が、そのほか2本あります。ひとつは、「わたしの好きな ふるさとのお菓子」。8名の方たちに、味わうとほっとして素の自分に戻れる、郷里のお菓子について教えていただきました。
あとひとつは、「小林夫妻のピノ・ノワール この土地と生きる」。故郷である長野県原村に戻り、土地を耕し、ワインをつくることで、自然を守りながら暮らす。そんな小林夫妻の生き方について、編集部員が綴りました。
ご存じのように、遠い空の下、ふるさとを追われ、日常を奪われて、死におびえながら生きる人たちがいます。なんてことのない暮らしが、いかにかけがえのないものなのか、「平和」とはなんて脆いものなのか……みながそう実感し、不安を覚えるなかで、「平和を守るとはいったいどんなことか」、さまざまな議論が持ち上がっています。
議論ができるうちは、つまり、みなが自分の考えを口に出し、たとえ決着がつかなかったとしても、話ができるうちはいいでしょう。しかし、はやばやとある一つの意見にまとめあげられ、「違う」と考える人が声を上げられなくなる、それはとてもこわいことです。
「わたし」がどんな暮らしを送っていきたいか、どうしたら幸せに生きられるのか。たとえ自分に子どもがいなかったとしても、いまを生きる子どもたちにどんな未来を手渡していきたいか。自分の足もとから、社会を、この世界を見つめてじっくりと考えて議論していくことは、けっして「平和ボケ」ではないと私は思います。
「大義」よりも「暮らし」を礎にして、本当の民主主義とは何なのか、ぶれずに考える。それは77年前の過ちをもとに、私たち『暮しの手帖』が創刊してから伝え続けてきたことで、これからも変わらずに伝えていきたいと考えています。
なんだかカタくなりましたが、みなさまの日々が、穏やかで、春の喜びに満ちたものとなりますように。どうか、心身健やかにお過ごしください。
『暮しの手帖』編集長 北川史織