暮しの手帖社の前身、衣裳研究所は、1946(昭和21)年3月に東京銀座で大橋鎭子と花森安治のコンビで創業しました。戦後まもない、物の無い時代でもおしゃれに美しく暮らしたいと願う女性への、服飾の提案雑誌『スタイルブック』出版からのスタートでした。
1948(昭和23)年9月に、健康をささえる「食」と、家庭を守る「住」をとり入れ、『美しい暮しの手帖』(のちに『暮しの手帖』と誌名を変更)を創刊。その後、暮しの手帖社に社名を変更しました。
『暮しの手帖』刊行にあたっては、大橋鎭子と花森安治のそれぞれに思いがありました。大橋は戦争中、防空壕のなかで、自分が見たい、知りたいと思うことを本にすれば、戦争で学校にも満足に行けなかった多くの女性たちに喜んでもらえるだろう、と考えていました。また花森は、戦争への反省から、一人ひとりが自分の暮らしを大切にすることを通じて、戦争のない平和な世の中にしたいと考えていました。そんな二人が毎日の生活を少しでも豊かで美しくするために、手作り家具や直線裁ちの服などを提案していこうと一致し、創刊しました。
経済成長とともに物が出回り始めると、どれが役に立つ商品かを広く消費者に伝え、また本当に良いものをメーカーに製造してもらうためにも、商品テストを実施。生活者の立場に立った実証主義のテストは高く評価され、多くの読者の支持を得ました。
おかげさまで、創業から半世紀以上がたちました。広告を載せていない『暮しの手帖』は、一冊一冊をお買い上げくださったみなさまのおかげで、今日まで続いてまいりました。
これからも毎日の暮らしに少しでも役に立ち、親から子へと読みつがれていく、そんな雑誌でありたいと思います。
大橋鎭子(おおはししずこ)
1920(大正9)年3月10日、東京・深川で大橋武雄、久子の長女として生まれる。次女晴子、三女芳子の三人姉妹。父親を早くに亡くし、小学5年生で喪主を務めた。東京府立第六高等女学校を卒業後、日本興業銀行を経て、日本出版文化協会の『日本読書新聞』に勤務した。
かねてから「女の人をしあわせにする雑誌をつくりたい」という志があり、花森安治の協力を得て、1946(昭和21)年に「衣裳研究所」を設立、女性のための服飾雑誌『スタイルブック』を創刊。初代社長として経営にあたりながら、花森編集長のもと編集にも携わる。1948(昭和23)年、雑誌『暮しの手帖』を創刊。のちに社名を「暮しの手帖社」に変更した。広告を排除し、衣食住をテーマにした誌面づくりで、読者から高い支持を得る。
1958(昭和33)年、アメリカ合衆国国務省の招待で4カ月間の視察旅行に出かける。ニューヨークのペアレンツ・マガジン社より、雑誌を通じた子どもや家庭への貢献が評価され、旅中に「ペアレンツ賞」を授与された。
1969(昭和44)年、『暮しの手帖』第2世紀1号より「すてきなあなたに」の連載を始める。確固たる哲学と美的センスを貫いた花森とは対照的に、日常のささやかな出来事や暮らしへのこまやかな愛情を綴った。1994(平成6)年、同エッセイにより東京都文化賞を受賞。
1978(昭和53)年に花森が没した後は、経営と編集に尽力し、93歳で亡くなる1年ほど前まで、朝9時から夕方5時半の勤務を続けた。2013(平成25)年3月23日、肺炎のため永眠。もちまえの活発さと勇気で昭和を駆け抜け、生涯を出版業に捧げた。その人柄と情熱は人間味にあふれ、社員はみな家族のように親しみをこめて「しずこさん」と呼んだ。
2016(平成28)年4月4日から放送予定のNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』のヒロインは、大橋鎭子の半生がモチーフとなった。
花森安治(はなもりやすじ)
1911(明治44)年10月25日、神戸市須磨区に生まれる。6人きょうだいの長男。少年時代から自作自演で映画制作を行うなどアーティストとしての才能に恵まれる。旧制松江高校を経て東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学。高校時代に文芸部、大学では「帝国大学新聞」の編集に参加した。1935(昭和10)年、松江の呉服問屋の末娘、山内ももよと学生結婚。1937(昭和12)年、大学を卒業、この年に長女藍生(あおい)が誕生した。同年、秋に召集を受けて満州(中国東北部)へ赴く。除隊後、大政翼賛会の宣伝部に勤め、軍部の戦争遂行にかかわった。このことへの悔いは、後に創刊する雑誌『暮しの手帖』の理念に大きく影響する。
1945(昭和20)年、終戦後に『日本読書新聞』の編集長で高校時代からの親友だった田所太郎のもとで、カットを描く手伝いをした。この時、編集部に在籍していた当時25歳の大橋鎭子を紹介される。大橋の、女の人をしあわせにする雑誌を出版したいという志に感心し、「戦争をしない世の中にするための雑誌」をつくることを条件に、この誘いに応じた。
『暮しの手帖』の初代編集長として、創刊当初から編集作業に全身全霊を傾け、画期的な誌面をつくりあげる。広告を載せず、実名をあげて商品を評価する「商品テスト」は大きな反響を呼び、『暮しの手帖』を国民的雑誌に押し上げた。あわせて高度成長期における環境問題などにも警鐘を鳴らし、暮らしに対する独自の思想をわかりやすい言葉で読者に伝えた。
暮らしを脅かす戦争に反対し、国や企業に対し鋭い批判を投じた。これにより、戦後を代表するジャーナリストとしての立場を確立した。
一方、表紙画、誌面レイアウト、本の装釘、広告や服飾デザイン、など幅広い分野に芸術的な才能を発揮。創刊から30年間、休むことなくペンを執り、現役の編集長に徹した。1978(昭和53)年1月14日、心筋梗塞により永眠。享年66歳。ジャーナリズムと芸術的側面を持ち合わせた希代の名編集長は、いまも多くの人々に影響を与え続けている。
主な受賞歴に、1956(昭和31)年 第4回菊池寛賞(花森安治と『暮しの手帖』編集部)、著書『一銭五厘の旗』が1972(昭和47)年 第23回読売文学賞(随筆・紀行賞)、同年にラモン・マグサイサイ賞などがある。
1946(昭和21)年 | 3月 | 大橋鎭子を社長に衣裳研究所を東京都中央区銀座西8丁目、日吉ビル3階に設立 |
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6月 | 『スタイルブック』を衣裳研究所より創刊 | |
1948(昭和23)年 | 9月 | 『美しい暮しの手帖』創刊。 |
1951(昭和26)年 | 1月 | 株式会社に組織変更。衣裳研究所から、暮しの手帖社に社名を変更 |
1953(昭和28)年 | 11月 | 東京都港区東麻布3丁目に「暮しの手帖研究室」を創設 |
11月 | 22号から雑誌名を『暮しの手帖』に変更 | |
1954(昭和29)年 | 11月 | 初の商品テスト「日用品のテスト報告その1 ソックス」を26号に掲載 |
1956(昭和31)年 | 2月 | 「婦人家庭雑誌に新しき形式を生み出した努力」に対し、第4回菊池寛賞を受賞 |
1969(昭和44)年 | 8月 | 前年に評判を得た96号を単行本とし、『戦争中の暮しの記録』を刊行 |
1971(昭和46)年 | 11月 | 『からだの読本』が第25回毎日出版文化賞を受賞 |
1972(昭和47)年 | 3月 | 花森安治著『一銭五厘の旗』が第23回読売文学賞を受賞 |
8月 | 「日本の消費者、ことに抑圧された主婦たちの利益と権利と幸福に説得力のある支援を行った」ことで、花森安治がラモン・マグサイサイ賞を受賞 | |
1974(昭和49)年 | 1月 | 銀座日吉ビルより東京都港区六本木3丁目に本社移転 |
1994(平成6)年 | 2月 | 『すてきなあなたに』による、長年にわたる文化の向上、発展に貢献したことで、大橋鎭子が第10回東京都文化賞を受賞 |
1995(平成7)年 | 11月 | 東京都港区東麻布3丁目に本社移転 |
2003(平成15)年 | 12月 | 東京都新宿区北新宿1丁目に社屋を移転 |
2019(平成31)年 | 4月 | 東京都千代田区内神田1丁目に社屋を移転 |
- 会社名:
- 株式会社 暮しの手帖社
- 所在地:
- 〒101-0047 東京都千代田区内神田1-13-1 豊島屋ビル3F
- 代表電話番号:
- 03-5259-6001
- 代表取締役社長:
- 横山泰子
- 住所:
- 〒101-0047 東京都千代田区内神田1-13-1 豊島屋ビル3F
- 代表電話:
- 03-5259-6001
- 営業時間:
- 9時30分~17時30分(土・日・祝日は休業)
- 交通のご案内:
- JR
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淡路町(丸ノ内線) 徒歩5分
大手町(千代田線) 徒歩5分
大手町(丸ノ内線・半蔵門線) 徒歩6分
竹橋(東西線) 徒歩7分
神田(銀座線) 徒歩8分
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