『暮しの手帖』初代編集長 花森安治 「ぼくは、死ぬ瞬間まで<編集者>でありたい」

終戦の年の秋、女性のための出版の志を持った大橋鎭子と出会い、
創刊以来30年にわたり『暮しの手帖』を作り続けた花森安治。
企画、取材、原稿書き、校正はもちろん、撮影、表紙画、挿画、
誌面デザイン、本の装釘、広告……。
なにからなにまで自ら徹底的に手がけた異才の編集長は、
つねに自由な精神に身を置き、なにものにもしばられることなく、
生涯をかけてアルザンな仕事に打ち込みました。

「花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼」展2017/9/2(土)~ 10/15(日)岩手県立美術館

花森安治が手掛けた表紙153点が年代順に。右にスクロールすると創刊号から順番に、
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はなもりやすの生立ち

花森安治の生涯を知るための1冊

花森安治の多彩な仕事

人の手がつくるものの美しさを愛した花森。自ら手がけた仕事は、多岐にわたります。その一部をよりぬいて、ご紹介します。どの仕事にも徹底して美学を貫き、職人的な技にこだわった花森の息吹が感じられます。※画像はランダムに表示されます。

創刊号から亡くなった次の号までの153冊すべての表紙は、絵も手書きのロゴもデザインも花森によるもの。表紙画を描くときは、いつも個室にこもり、描き上がるまでは誰も見てはいけませんでした。使った画材は水彩、油彩、クレヨンなど。中期の写真を用いた表紙は入念に考え抜かれた構図でした。

記事の内容が読者によりわかりやすく伝わるように、ページの挿画も、描き文字も手がけ、写真や活字の配置にミリ単位まで神経をとがらせてレイアウトしました。そうして苦心してつくった誌面に、他人のつくったデザインが入るのを嫌ったこともあり、広告をいっさい載せませんでした。

『暮しの手帖』の中吊りや書店店頭用の広告、新聞広告は、花森による独特なコピーと共に、描き文字、写植指定やイラストをそえてつくられています。あるときは強く大胆に、あるときは詳しい内容を記した細密な広告を手がけました。

編集室ででき上がった原稿を読むと、その内容にあった身近なモチーフを描きました。タイトルまわりがさびしかったり、どうしてもページに空白ができてしまうと、花森はすぐにすらすらと挿画を描き、より誌面が引き立つ工夫を凝らしました。

紙選びやレイアウト、活字使いにいたるまで、全体の調和にこだわって本を装釘しました。表紙画の素材や手法はさまざまで、本の内容にそって、画、コラージュ、タイポグラフィなどの色と質感を巧みに使った仕事をほどこしています。

花森の音声記録は編集会議をはじめ、取材時やラジオ番組に出演したものなど膨大な数になります。公開した4本は、暮しの手帖社の編集部員に向けた花森の講座の一部です。「ジャーナリスト論」「文章について」「色について」。夕方の1時間余りの時間を使って、独自の編集論や編集者観を惜しみなく語りました。社員教育にも熱心だった様子がうかがえます。※クリックするとYouTubeで音声が聴けます。

『暮しの手帖』の初代編集長として

この国の暮らしを変えるために

1945(昭和20)年、終戦後に『日本読書新聞』の編集長で高校時代からの親友だった田所太郎のもとで、カットを描く手伝いをしました。この時、編集部に在籍していた当時25歳の大橋鎭子を紹介され、雑誌創刊の相談をもちかけられます。大橋の、女の人をしあわせにする雑誌を出版したいという志に共感し、「戦争をしない世の中にするための雑誌」をつくることを条件に、雑誌づくりを手伝うことにしました。
翌年の1946(昭和21)年5月、銀座に設立した衣裳研究所から『スタイルブック』を発行。各地で服飾デザイン講座を開き、着物をほどいてつくる「直線裁ちの服」を紹介しました。著しく物が不足した戦後の混乱期の女性たちに、「きよらかなおしゃれ心」の火を灯します。美しいものを装うことで人々が明日への希望につないでいける、そんな意を込めた直線裁ちの服の提案は、評判になりました。
1948(昭和23)年、これまでの「衣」をテーマにした内容に「食」「住」と「随筆」を加えた雑誌『暮しの手帖』を創刊。のちに社名を「暮しの手帖社」に改めました。

名企画で国民的雑誌へ

『暮しの手帖』の初代編集長として、創刊当初から編集作業に全身全霊を傾け、画期的な誌面をつくりあげて行きます。広告を載せず、実名をあげて商品を評価する「商品テスト」は大きな反響を呼びます。まず自分たちで、商品のどんな点をどんな方法でテストするかを考えることからはじめ、家で実際に使うように編集部員が何度もくり返し行う。これが『暮しの手帖』の商品テストのやり方でした。初回は1954(昭和29)年の1世紀26号、「ソックス 実際に使ってみてどうだつたか−−日用品のテスト報告その1」。以降、その対象は「ベビーカー」「石油ストーブ」といった日用品から「洗濯機」「冷蔵庫」「掃除機」などの電化製品へと時代と共に広げていきます。徹底した内容のわかりやすさと結論は、独特な誌面デザインによって読者に印象的で強いメッセージとして届き、『暮しの手帖』を国民的雑誌に押し上げていきました。

 
1968(昭和43)年の夏(1世紀96)号は一冊まるごとを「戦争中の暮しの記録」という特集にあてました。その一年前から読者に原稿を募り、応募総数は予想を上回る1700通余り。実際に掲載できた手記は139編でした。

戦争の経過や、それを指導した人たちや、大きな戦闘については、
ずいぶん昔のことでも、くわしく正確な記録が残されている。
しかし、その戦争のあいだ、ただ黙々と歯をくいしばって
生きてきた人たちが、なにに苦しみ、なにを食べ、なにを着、
どんなふうに暮してきたか、どんなふうに死んでいったか、
どんなふうに生きのびてきたか、それについての、具体的なことは、
どの時代の、どこの戦争でも、ほとんど、残されていない。
その数すくない記録がここにある。
(花森による序文より)

ひとつのテーマに絞って特集号を組んだのは創刊以来初めてのこと、しかもそれがつらい過去の記録とあっては、読者や書店の反応も様々でした。しかし、結果的にこの号は早々に完売し、翌年には単行本化。「……この号だけは、なんとか保存して下さって、この後の世代のためにのこしていただきたい……」と花森があとがきで願った通り、現在でも読み継がれている一冊です。
こうした企画とあわせて、高度成長期における環境問題などにも警鐘を鳴らし、暮らしに対する独自の思想をわかりやすい言葉で読者に伝えました。

動画で見る花森時代の暮しの手帖

晩年の花森安治

花森安治の仕事を知るための4冊

  • 「花森安治の仕事
    デザインする手、編集長の眼」

    戦後日本の暮らしを変えたといわれる『暮しの手帖』での仕事から、他社で関わった広告宣伝、装釘した書籍、愛用品まで――。約740点の資料から、その人物像に迫る展覧会が2017年に各地で開催され、多くの方々にご来場いただきました。
    以下の展覧会はすべて終了いたしました。
    世田谷美術館(東京都) 2月11日(土)~4月9日(日)
    碧南市藤井達吉現代美術館(愛知県) 4月18日(日)~5月21日(日)
    高岡市美術館(富山県) 6月16日(金)~7月30日(日)
    岩手県立美術館(岩手県) 9月2日(土)~10月15日(日)

    ※展覧会に関するお問い合わせは、各美術館に直接お願いいたします。