終戦翌年、1946年の東京。食べもの、配給、家族、ピアノの練習、お裁縫……、14歳のフジコさんが、水彩画とペンで、ていねいに美しく綴った、ひと夏の貴重な記録です。
書籍化にあたり、手書き文字は活字に起こして全ページを収録。加えて、絵日記には描かれていない、当時の心情を赤裸々に語っていただきました。
フジコさんの書き込みの入った楽譜、ショパン「バラード第1番」も収録。
世界的ピアニストにして永遠の少女、フジコ・ヘミングの原点がここに!
[目次]
はじめに
七月六日~七月十九日
あのころの暮らし
幼いころ/疎開先の岡山で/戦後の暮し
七月二十一日~八月三日
母のこと
三人家族/大嫌いで、大好き
八月四日~八月十七日
ピアノの音色
レオニード・クロイツァー/泥沼の日々/センチメンタルでいいじゃない
八月十八日~八月二十九日
人生とのつき合い方
夏の終わり/歳を重ねる
八月三十日~九月十日
おわりに
出版によせて 小松莊一良
パリのアパルトマンから
巻末 フジコ・ヘミングの楽譜 ショパン「バラード第1番 ト短調」
[著者]
フジコ・ヘミング
ベルリン生まれ。5歳のとき、母の手ほどきでピアノを始め、10歳からレオニード・クロイツァー氏に師事。東京藝術大学卒業後、28歳でドイツへ留学。1969年、大切なリサイタルの直前に風邪をこじらせ、聴力を失う。その後、耳の治療に専念し、ピアノ教師をしながら欧州各地で演奏活動を続ける。左耳の聴力のみ40%まで回復。
母の死後、95年に帰国。99年、NHKのドキュメンタリー番組が大反響を起こし、デビューCD『奇蹟のカンパネラ』は、クラシック界異例の大ヒットを記録。2018年、ドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』公開(監督:小松莊一良 / 配給:日活)。
現在パリと東京で暮らし、世界中でソロ公演や、著名オーケストラと共演を重ねている。
公演活動で多忙を極めるなか、犬や猫をはじめ動物愛護団体を援助するための活動を続けている。